10年前に読んだ本を再読しました。
この本を初めて読んだときは、インドネシアを旅行している最中でした。
まさに旅する時間とシンクロしていました。
今回は全く違う気分で読みました。BookClubで複数の人の眼で読んで話しました。
日常のルーティーンをこなすなかで読むと、この本自体が “ここではないどこか” を求める気持ちを後押しする本であることがわかりました。
世界的ベストセラーではあるけれど小説として名作かというと、そうじゃない。そういう本じゃない。こういうことって、誰かと話さないと気づくことができません。
この日はこんな話をしました。
- 同じ源の啓示宗教(創世記、キリスト教、イスラーム)の人々が混じり合う砂漠、戦争が起こることを当たり前に受け入れる世界が舞台なので、聖書やコーランを読んだことがない人にも勉強になる。「この本を読んで感銘を受けた」と発言することでポジションが取れる本でもある(という意味でオバマ大統領が絶賛みたいなのはすごく合理的)
- 先に共有したいメッセージや啓示・訓示のリストがあって、それをつないで物語にしたような本。小説というよりも自己啓発書
- メッセージ性の羅列で構成されており、何かを諦めるときの思考パターンがひととおり登場するので、自分が弱気になったときの自己弁護があぶり出される。同じくらい、調子に乗っているときの傲慢な思考もあぶり出される
- 未来に目が向く→前兆を読みたがる →啓示や助言が欲しい →いま自分がどうすればいいか師に言い切って欲しい という流れで、師に頼って安心する様子が丁寧に描かれている。その途中で自尊心が傷つきかけるといつの間にか “運命” を追っているという設定に逃げ、「ねじれ」に何度もハマり、人に騙される。高額な占いに惹かれる人が好きそうな導き
- 目標を見つけてそれを追いかけたい、チャレンジしたい人だけの話じゃない。保守的で堅実な人の考えや、油断すると自慢したくなる老人(元権力者)の気持ちまで丁寧に書かれている
- 臆病な男の子の話。はじめは文盲の少女に恋をし、彼女は文字が読めないから本で読んだ話を自分の経験として話してもバレないだろうと考える。次に会う少女は「待てる女」であることを美徳とする木綿のハンカチーフ思想の持ち主。少年は彼女が待っていることで頑張れるという気持ちを経験する
ヨガの教えと共通しないことも多かった
ひとりで読んでいると、これまで学んできたことを肯定したい欲がノイズになって、ついヨガと紐づけたくなってしまいますが、今回は誰かと話す前提で読むことで以前よりも冷静に読めました。
その上で、ヨガと共通する要素に見えたのは
- 自分を悲観的な思考に縛るのは自分
- 心は見たものや経験をすぐに自己と関連づける
- 凝視しすぎないけれども意識は向けておいて集中する(油を乗せたスプーン)
上記の3つくらいかな。
ヨガだけでなくウパニシャッドまで範囲を広げれば共通点はもっとあるけれど(夢の解釈とか)、『アルケミスト』の世界に輪廻や解脱の概念はなく、「前兆や自然、生命からの微細なメッセージを読み取って自己を成功へ導くのだ。恐怖心に負けるな」という自己啓発書だということが、今回の複眼読書でよくよく感じることができました。
なんというか、とっても現世利益的。
── という発見がありつつ、未来への期待と不安に揺れ動く精神状態のリトマス試験紙的に読める本でもあり、なにより再読してよかったのは、以下の教えをやさしいものとして受け取れたことでした。
心が言わねばならないことを聞いた方がいい。そうすれば、不意の反逆を恐れずにすむ
「心が言わねばならないこと」というフレーズを少し変な訳だと思っていたけれど、心そのものが「黙っておく」という手段をとるようになると病むぞということを教えてくれている、これはやさしい(あまり指摘してもらえない、深い)教えと感じました。
いま流行りの “自分の機嫌を自分でとる” ことで堕ちていく感じを、ずっと言語化できずにいたから。
自分自身に対して機嫌をとる前に「なんでふてくされてるの?」「なんでいじけてるの?」と訊いておかないと不意の反逆がくるって、もうわかってるもんね。