ただの真実しかない映画。なのに『疑惑』。
ああ、わたしも岩下志麻さまに詰められたい。わたしの “ありかた” を導かれたい!
こんな感想はヘンかな。でも、そのくらい登場人物たちの言葉のやりとりに引き込まれました。
心を鬼にしないと生きていけない社会なんてしんどすぎる。だからこそ導き手が欲しい。
わたしも、心を鬼にできる “もうひとりの鬼” に導かれたい!!!
この映画は松本清張原作で何度も映像化されていて、弁護士や記者を主役に設定したものもあります。わたしはこの映画でこの物語を初めて知りました。
ものの見かたの面で信用している人が、「ぜひ観て欲しい映画」として勧めてくださり、この三連休を利用して二度観ました。
なんで他人のことを、そんなにも憎むことができるのか
これは、さまざまな事件に反応する人の言葉が可視化された現代で特によく感じることです。物的証拠がない案件でも、状況証拠が雪だるま式に大きくなって、民衆の漠然とした不満(というか退屈?)の当てどころになる。
ここから先はストーリーの過程に触れていくので、先に映画を見ようと思う人は後で読んでください。
この物語は、被告の言葉が強い。心はたぶん強くない。演じるのは桃井かおりさん。
このくらい強い言葉を発することができないと、証拠の解析を待たずに犯人にされる。それに屈しない様子がすごい。
地方新聞の記者が状況証拠をかき集めてキャンペーン記事を書き、嘘の証人まで送り込み、民衆の期待する犯人を法廷で生み出すことが正しいと信じて疑わない。
「あんたみたいなのをペン乞食っていうのよ」と言う被告人のセリフ通りになっていくペン乞食を演じるのは、柄本明さん。
この人物の当たり前に意地悪な感じが、わたしにはとても懐かしくて胸が苦しくなりました。子供の頃にこういう大人をたくさん見たから。
わたしには、こういう人に見つからないように目立っては損だという感覚が自然にあります。海外にいるときだけ、この気持ちから解放されます。目立つと意地悪をされるから気をつけようと思わせる人物像そのもの。
そしてさらにおもしろいのは、関わることで注目されたい人が出てくる展開です。その人物を森田健作さんが演じています。
役柄と俳優は全く別だとは思うものの、森田健作さんは、のちの千葉県知事。この配役がいま観ると絶妙すぎて、法廷シーンで見せる正義の語りに複雑な気持ちを抱きました。
葬式に赤いスカート・赤い口紅で登場する被告、被告から「頭悪いんじゃないの?」と罵られても動じない弁護士、弁護士から気高く「もちろん、やってないと思ってますわ」と言われてから揺れる嘘の証人。
この物語は弁護士が「お互い様」という落とし所を個人の人生で並行して経験するサイド・ストーリーがどうにも深く、真野響子さんが演じる “闘わない女” の提示する「お互い様」のトレード条件設定に唸りました。
松本清張、おそるべし。
まあそれにしても、この時代は言葉がストレート。
証人として登場する、クラブ経営者・堀内とき枝の胸元の深い着物の着かた、酒焼けした声、
そしてその声で発せられる「ちょーっと ここ税務署ぉ?」というセリフ。演じるのは、大御所・山田五十鈴さま!
彼女の登場場面が最高だと事前に聞いてはいたのだけど、ここまでとは。この時のセリフ回しを覚えたくなったけれど、使う場面がありません(覚えてどうする)。
他にも、毒婦に夢中になっている中谷昇さんが普通に悲しくてかわいかったり、岩崎専務を演じる名古屋章さんの喋りが立て板に水の昭和口調だったり、もう、見どころを挙げだすときりがない。
そして何より、いま見るさまざまなニュースにもこの映画のなかにある大衆心理があって、日本を感情国家と言った山本七平さんの「日本教」という言葉を思い出さずにいられません。
ものの見かたがブレそうなときに頭の中で思い出す映画って、それぞれの人にあると思うのだけど、信頼する人のおすすめ映画を観ると勉強になる。星の数ほどある映画の中でなぜこの映画なのかと考えるのも、自分だけの密かな楽しみの時間でした。