ずっと存在が気になっていた赤城山と呼ばれる場所へ行ってきました。
「赤城の山も今宵限り」というフレーズがなぜか頭にこびりついていたのと、いつか行ってみたい場所だとヤマンバ様(母)が話していたので、一年でも若いうちに行こうと思い立ちました。
- ハイジのブランコに乗りました
- 赤城大沼
- 赤城神社でガツガツ営業に来る鴨から逃げる
- 対岸の旧赤城神社の近くにあった大宮弁天宮(水仙殿)
- バスの終点「あかぎ広場前」の食事処が昭和の景色で安心
- 覚満淵へ
- 「赤城山」は石原裕次郎のいない石原軍団のよう
- 赤城山はライドシェアがないと、車の運転が不安な中高年には縁遠い
ハイジのブランコに乗りました
東京に帰ってきてから、ここがちょっとした隠れ名所であることを知りました。
わたしたちはたまたま、この近くの山道を登りはじめていました。
後からやってきた親子連れがここを目指していて、追い抜かれた後について行ったら、そこがハイジのブランコでした。
おし~えて~♪ おじい~さん~♪ と、ブランコに乗るおばあさん。
オンジよりもきっと年上。Around80.
ハイジのおじいさんって、たぶんまだ60代くらいじゃない?
汽車を追いかけてめっちゃ走れてなかった? あれは低燃費少女ハイジのほうだったか。(記憶が混濁)
この、青木旅館の前の駐車場にある道から、細い山道を登った先にありました。
こんな景色の場所を登って行きました。
赤城大沼
湖の外周を一周しました。4キロだそうです。
皇居の外周や榛名湖外周よりもひとまわり小さい感じです(皇居は4.9km、榛名湖は4.8km)
この湖を一周したら、なんだかもう満足でした。
その途中でブランコに乗りました。
歩いて湖を見て、の繰り返し。
歩くための道が整備されています。気持ちの良い時間でした。
かわいいきのこ。
かわいい野花。
赤城神社でガツガツ営業に来る鴨から逃げる
この日は、湖歩きの最初に、まず赤城神社へ向かいました。
神社の赤い橋はまだ整備中でした。
思ったよりもシンプルでスッキリとした神社でした。
水を眺めながら、駅で買ってきたパンを食べようと、水辺の岩に座ったら、鴨がガツガツ寄ってきました。
インドで駅を降りた途端に寄ってくるオートリキシャーの皆々様、みたいな感じで、すごい数、どんどん来ます。こわい。こわい。こわい。
わたしたちが立ち上がった頃に、他の観光客の方々がいらっしゃって、リキシャーの皆さんは一斉にそちらへ移ってゆかれました。
対岸の旧赤城神社の近くにあった大宮弁天宮(水仙殿)
赤城神社から湖を南の方へ見たときの対岸に旧赤城神社跡地のようなものがあり、その近くに大宮弁天宮(水仙殿)がありました。
ここの景色も良かったです。
AKAGI という赤い文字を入れて写真を撮れる場所がありました。
バスの終点「あかぎ広場前」の食事処が昭和の景色で安心
駐車場があるところが終点です。
赤城広場前バス停。
ザ☆観光地! って感じの、懐かしい並び。
こういうの、なんか安心する。
覚満淵へ
帰りのバスの発車まで時間が余ったので、バス停から歩いてすぐ行ける覚満淵という小さな湖の周りも一周してみました。
ここだけにピクニックに来ていると思われる高齢者のグループがちらほら見られ、すてきな楽しみ方だな、と思いました。
熊のニュースがすごいから、ここで気になって鈴をつけました。
「赤城山」は石原裕次郎のいない石原軍団のよう
「赤城山」というのは集合概念のようなもので、ザ・赤城山という山があるわけじゃないんですね。
強いていうと一番高い標高1827.6mの黒檜山をメインとしてもいいけれど、とにかく大沼の周りにたくさん山があって、その集合体の裾野が広大。


広大で、行く場所はたくさんあるのだけど、、、
エース不在、スター不在感がある。
渡哲也も舘ひろしも神田正輝もいるけれども石原裕次郎はいない、みたいな感じ。
帰ってから母と「なんか、榛名山よりも行くのが大変すぎたのに、華がなかったんだよねえ・・・」という感想になったのだけど、
それは、言うなれば
裕ちゃん、いないんか~い!
という感覚。
つかみどころのない場所でした。
黒檜山(渡哲也団長)の登山口は赤城神社の近くにありました。
赤城山はライドシェアがないと、車の運転が不安な中高年には縁遠い
ここはライドシェアがあれば「歩けば健脚なのだが知らない山の車の運転は不安」という人にも行きやすくなると思うのだけど、土日祝日のみ運行するバスで行くのは、ハードルが高いと感じました。
前橋駅から土日祝日にバスが出ています。
それだけでもありがたい。ありがたいのだけど、
カーシェアではなくライドシェアがあったらいいのに・・・。
そんなことを思う山でした。