うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

心理的安全性の高い状況をふと感じたときに考えたこと

今日のタイトルの ”心理的安全性の高い状況” というのは、ことし仕事中にふと起こった感覚です。
いまわたしが仕事をしている環境はちょうどパンデミックが始まった頃からの縁で、今となってはすでに一年半以上、フルリモートです。


仕事を始めた頃は「謎のウイルス」の存在が騒がれ始めた初期で、仕事に関係しない領域まで詮索されました。三密の可能性がある場所で活動していないか確認するためです。同時にネットワーク環境を急遽手配したり、ドタバタで落ち着きませんでした。

ネットワーク回線は一時的に争奪戦になり、ハラハラしました。そんな判断の連続で疲れながら、信じられることを信じて暮らすように心がけてきました。

 

たった一年半前のことですが、4月5月はマスクが高値で売られたりトイレットペーパーが買えなかったりしていました。ものすごく昔に感じるけれど、一年半前です。
麻痺というのは「自分は麻痺してるんだろうな」と思いながらするものなんだということを身をもって知りました。オリンピックは数ヶ月前ですからね。"正気" の概念も変わります。

 


こんなふうに、土台から秩序もコンプライアンスも吹っ飛ぶ感じは初めての経験です。

これまでであれば “自分の調子がおかしい” という前提で考えられていたことが、周囲を見回しても、なんかおかしい。疑心暗鬼になるときりがないし、ニコニコするのも背負いすぎです。

楽観にも悲観にも寄りすぎないマインドにとどまることについて、ヨガの教えが実生活にこんなにもぴったり張り付いて長く歩いたのは初めてです。それまで、わたしにとってヨガの教えは鼓舞したり下から引き上げるような、そういうものだったから。

 

 

そしていまの状況について、先日ふと思ったことがありました。いまの働き方は、一年半前よりも心安らかです。わたし自身のマインドが、不安と気負いからやっと距離を置けるようになってきました。
振り返ると、子どもの頃からずっと不安をバネにしてました。

 

  • 子供の頃:家族・近所の人から評価される世界 → 孤独耐性アップ・環境適応力アップ
  • 受験・就職の頃:点数や内申書(素行)で評価される世界 → 頑張りと従順さの調整力アップ
  • 働き始めてから:使える・使えないで評価される世界 → 多方面でのスキルアップ

 

他にもいろいろありましたが、40年以上のあれこれ経て、さらにこの大混乱の中で、考え方に静的な要素が加わりました。
このように。

 

  • なにで評価されるのかわからない世界 → やれることをやって待つ力をつける


自分なりに生活のしかたを変更し続けて、心理的安全性というのはこういうしくみかと、ここ半年の間に何度か感じることがありました。これは以前の職場でも何度か感じましたが、その頃は周囲の人に余裕があるからだと思っていました。
もうすっかりおばさん扱いされる年齢になって、やっとここまできた感じです。こういうのって自己肯定感なんて言葉で語れるものではないとつくづく思います。

 

 

社会の中で環境に恵まれるかどうかは、生まれた環境とはまた違うガチャ。

自分の心づもりとの擦り合わせでコントロールできる部分がいくらかありますが、そのチューニング方法を会得し継続していくのは簡単なことではありません。こういうことを思うとき、瞑想を開発したインドの賢者のすごさを思い知らされます。

 


自分が「待てる」状態になっていれば、やみくもに武装を始めることをしなくて済むんですよね。わたしはそれをやる癖がなかなか抜けず、内面的に気負うところがあります。
「備えあれば憂いなし」といえば堅実に見えるけれど、心の面で憂いを先取りして常に備えている人というのは、なんか重かったり鋭すぎたりして一緒に居ずらいということが、やっとわかってきました。
こういう種類の重さに自分で気づいて解除していくのは、ほんとうにむずかしい。それができる人、しようと努力している人を見る目が変わりました。

年上の人でそれができている人を見ると、人生経験を積まれているのだな、としみじみ思うようになりました。