うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

マウンティングの用法がわからない

先日友人と話していたら、ヨガの先生からマウンティングをされたそう。

わたしはそれを聞きながら、こういうのをマウンティングというのかと、その用例をひとつ知りました。

ここ数年で聞くようになった言葉で、いまひとつ使い慣れないものってありませんか。

 

 

ヨガの場面での話をされたら理解しやすかった

友人が少し前に参加したヨガクラスで「あー、そういう練習の仕方、してきちゃったんだ・・・」という言いかたをされたそうで、「ああいうマウンティングみたいなの、いやよね~!!!」と。

聞いている限り、言われた側もいまひとつマウンティングを捉えきれていないような・・・と思いつつ、なるほどこういう感じで使うのかと思いました。

 

ヨガでなくても仕事や家事の手順で、こういうことってありますね。

仕事だったら「このアプリを起動すると自動でいけますよ」とか、料理だったら「先にこれをやっておくと後でこの容器が空くから」とか、そういうふうに言えばいいところ。

指導の範囲を越えて蔑みになっちゃってますよ!!! という場面はたまに見られるけれど、わたしがあまりそれを気にしないのは昭和のドラマを見てきたからかもしれません。

 

 

ニーズがないところにシーズを押し付ける、と似てる?

わたしがこれまで「マウンティング」の用法に迷ってきたのは、格闘技のイメージからでした。

マウント・ポジションを取ったら、あとは相手がギブアップするかレフェリーが止めるまでやるつもりってこと?! と思っていました。もっと攻撃的なものと思っていました。

世間での用法はそうではないんですよね。

 

ヨガの例をあげてくれた友人の話を聞きながらわたしが思い出したのは「旅慣れている自分はそんなものにその値段を払わない」ということを言いたくて、「そんなに払ったの?」と言う人。

求められていないタイミングで自分の持っている知識や技術を差し出してくる。マーケティング用語で “ニーズがないところにシーズを押し付けてくる” というもの。シーズは種で、まだ畑が用意されていないのに無理やり種を蒔こうとする感じを言います。

 

親切な人だと「ローカルだと○○○円くらいだから、観光客の値段は○○○円くらい」とか、「それはエアコン付きの値段だから、エアコンなしでこのくらいって言えば舐められないと」というふうに、環境や背景、駆け引きのさじ加減も含めて教えてくれます。

こちらが漠然と抱いていた「舐められない」というニーズまで掘り起こしてくれます。(畑もセットで提案してくださる感じ)

 

 

経験の伝えかた・教えかた問題はこれから自分に降りかかる

長く生きるほど経験が増えます。

なにかを成し遂げていなくても、その時代を生きて見聞きしてきたことが経験になります。

年配の人を見ていると「質問されない限り自分からは教えにいかない」という方針で嫌われることを予防している人がいますが、それはそれで「老害認定させないぞ!」という透明のステッカーがおでこに貼ってあるかのような緊張感を誘います。

 

人の心には根本的に「教えたい・伝えたい」というはたらきがあることを忘れずにいないと、「自分の発言欲を白く塗れ!」みたいな強引な対処法では、地の色が透けて濁って見えてしまいます。

 

 

教えたくなっちゃうときのこと

わたしも教えたくなっちゃうことが、よくあります。つい先日もありました。

ビリヤニの話はしていないのに、インドカレーの話をしている場でビリヤニの話をしてしまいました。

おしゃべり泥棒をしたうえに、炊き込みご飯の話をしてしまいました。それはカレーではないのに。勝手に範囲をインド料理まで拡大して、わたしの好きなメニューの話をしてしまいました。

 

「あ、今日わたし、ちょっとやらかした?」と思うことがあるたびに、それが自我の振り返りの契機になっています。

ちょっと寂しかったみたい。と。

 

 

他人の旅の過程を否定しない

わたしはこういう葛藤を、近頃はちょっとした修行だと思うようになりました。自分のそれも他人のそれも、旅の過程。

コミュニケーションのなかで気まずい雰囲気が流れたときも、他者と関わっていればその後も別の機会に似たようなことは起こるので、「こういうことって前もあったな・・・なんだったっけ」と思い出す材料になります。

 

せっかく出会えているこの瞬間に、それまでの旅の過程を否定することがないようにというのは気をつけていて、それにはきっかけがあります。

毎年手帳に書き写している Teaterss Tools というテキストがあって、これはヨガのティーチャー・トレーニングの教材にあったものなのですが、そのなかにこんなフレーズがあります。

しんぼうする。それぞれがそれぞれのやり方で学んでいることを理解する。

もともと英語だったテキストを当時自分で日本語にしてメモしたものです。

子育ての本にもありそうなフレーズです。

 

 

こういうことを考えるたびに、笑顔や声色やファッションの果たす役割を知っている人を尊敬します。

ここまでうじゃうじゃ書いたすべてのことを乗り越えるのは、そういうものの積み重ねだから。あれは技術なんですよね。

 

 

ちなみにわたしはまだ「アップデート」という言葉の用法を習得していません。

言いかただけアップデートしても、きっと自分の首を締めるんだろうなと思っています。

 

 

これは、マウンテン。

今日の話とは関係ありません。

画像はイメージです。