ヨガを始めてからずっと気にして考えてきたことの背景が少しずつ見えてきました。
たとえば伝統的な修行の雰囲気をまとったヨガ道場に「梵我一如」や「知行合一」の四文字が掲げられているのを見たとして、どう思うか。どう感じるか。
梵我一如はまあわかる。が、知行合一は、どこが元なのだろう。
そう思ってきました。
「混ざりかたを自分で認識しないまま、
雰囲気だけでアリな気がする、この不思議な力はなに?」
東アジアの人間がインドのヨーガを学ぶとき、何割かの人はここに自覚的になると思うのですが、わたしの世代になると多くの人はあまり意識しません。
それをどこから探り当てていいのかわからず不思議の森を彷徨っていたところ、昨年いきなり出会い頭の事故のように毒キノコを見つけました。
以降、わたしは視点をひとつ増やして本を読むようになりました。
そうしたら、これまで難しいと思って棚上げしてきたことの背景が見えてきました。
そんなこんなで、ここ一ヶ月は今年は儒学への疑問の掘り下げをしました。
先に、この本を読みました。
ここで、まず孔子に対するイメージを立て直しました。無駄な鎧を脱いだ感じです。
もともと好きになっちゃっていたのを、素直に好きということにしました。孔子は人生経験豊富で賢い人格者で、お茶目なおじいさんです。『論語』は4年前に読んでいました。
そしてこの後に『入門 朱子学と陽明学』を読みました。
そうしたら読んでびっくり。最終章の末尾が、わたしが考えてきた問題そのものでした。
気についてかなり否定的なことを語った。だが、西洋的な要素還元主義や「物と心の二元論」などの行き詰まりに対して、「気の思想」という代案を持ってくるのは、たしかに魅力的なのである。ただ、私としては、「気の思想」をあまりに理想化してしまうと、それが持っている多様な意味性をむしろ漂白してしまうことに通ずるのではないか、と考えているのである。
(第八章 気と生命/新しい生命観へ より)
※本文では「行き詰まり」のところに強調点が打たれています。
わたしはヨガ教室に「知行合一」の文字があったら不気味と感じるのは、それがどこか「漂白」に近い理念を感じ、「浄化」よりも極端な効果を求める気持ちを潜在的に抱えていることが見えて重苦しいから。
「日本の伝統」の好むところが漂白主義だと言ってしまえば、まあつじつまは合います。だけどそれはわたしが好むものではありません。わたしは自分を漂白する場を探しているわけじゃない。
ヨガにまったく興味がなかった頃に初めて行ったインドは、わたしがその生活に刺激を受けたインドは、そんなこととは程遠い、明るくてユルいお茶目な国だったから。
さて。
この本を読むと、孔子の『論語』が儒教だと思っていたらそうではなく、その後どんな方向で儒学が独自の形でスピリチュアル化していったかがよくわかります。
たとえばですが、陽明学と明かさずに上下白い服を着たヒゲのインド人が「抜本塞源論」を英語で話したら、「ワンネスですね」とうっとりする人が大量発生しそうです。
「抜本塞源論」で王陽明は、古代の理想社会について、「精神が貫流しあい、志気が通達しあい、他人と自己とか物と我とかの分別がなかったのです」という。
(第七章 鬼神と社会/㚒雑物のない世界へ より)
「古代の」というところが興味深いと思いませんか。15世紀の儒学者がこんなことを説いている。
以前読んだ『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』にも「昔」に理想を求める背景が書かれていましたが、王陽明はどんな苦労をしたのだろう。なんでどうしてここまでスピッた。ちょっとしたコミューンが生まれそうな説法です。
この本を読んでいると、対比として「陽明学」が不二一元論の立場、「朱子学」がサーンキヤの立場に似て見える瞬間があります。
陽明学の究極の境地においては、すべてがひとつの心になる。宇宙のすべてがひとつの心なのである。それはすでに宇宙ではない。心なのである。いや、宇宙であり、かつ心なのである。
朱子学というのは、ものごとを比較的截然と「わけて」考えるという傾向の強い思想であった。理と気、本然之性と気質之性、体と用、未発と巳発、性と情、道心と人心、義と利、天理と人欲など、だいたいが対になってどちらか一方が高い価値、もう一方は低い価値、というように「区分」する傾向が著しく強かった。ただしこれは二項対立とか二分法とか二元論という意味ではない。中国的思想の伝統に則り、ふたつにわけられたものは実はどこかでくっついている、という世界観である。西洋思想とはここが異なるわけだ。
(第五章 陽明学の核心━━「ひとつになること」/心のエネルギー より)
わたしはこの本を読んでから朱子学の朱熹(しゅき)の人物像に大変興味がわきました。朱熹がたどったであろう紆余曲折に魅力を感じます。
陽明学についてはもともと、日本で陽明学を説いた大塩平八郎の最後を描いた小説を読んだくらいの知識しかありませんでした。森鴎外が書いたものです。
それを読んだ限りでは、大塩平八郎はいわゆる「いい人(日本人が好む人格者)」ではあったけれど、社会の仕組みの解析や民族性の掘り下げをあまり深くやらずに “根性論的なサムシング” を貫いた人に見えました。現代を生きるわたしには、どえらいスピリチュアルに見える。
王陽明の思想がどんなふうに日本で理解されていったのかは、なかなか追いかけるのが大変です。(陽明学については、ここまででギブアップ)
朱子学については全く知識のない状態で、まさに入門編の本を探して、この本を読みました。その思想を打ち立てた朱熹に対しては、仏教へのコンプレックスを乗り越えた様子が見られ、そこに魅力を感じます。こんな説明がありました。
朱子学は、絶対的な道徳性である理を信奉し、人間の善性を確信して社会を変革していくリゴリズム(厳格主義)の思想である。だがその性格は、人間の弱さ、欠陥、悪への誘惑などを実にリアルに知悉している揺らぎの哲学なのである。
多重的な危機のさなかで、「道徳なんかない。それは無だ」というニヒリスティックな意識をもっとも鮮烈に心の中に増幅させたのは、実は朱子その人ではなかったか。実際、若き朱熹(朱子の本名)は仏教の魅力に深くはまりこみ、そこから出てくるのが困難なほど心酔したのだ。その後、儒に戻って性善説を堅持するようになるのだが、それは孟子に比べれば、あまりにも人間の弱さを直視した思考であった。朱子はゴリゴリのリゴリストといてのみ把えられてきたが、実は、ニヒリズムの深淵をもっともよく覗き、そしてそれをもっと恐怖した儒者なのではなかったか。
そのような観点から、朱子学をとらえなおしてみることも、必要だろう。
(第四章 朱子学の核心 ━━ 「理」とは何か/性と情 より)
「無だ」「空だ」と言ってしまえばラクだもんな、という仏教に対するツッコミを忘れないリアリストの人間味が、わたしは好きみたい。
この章の少し前の前半の章では、朱子(朱熹)の前後の時代の思想家との違いが説明されていました。
儒教とはどんな思想なのかを知るためには、儒教でないことを知ることも重要であろう。特に、儒教が歴史的に自己の思想的生命力を強化してきた過程で、何を自分の「敵」と考えたか、そしてその「敵」と自己とはいかに異なるかと規定してきたのか、という点が重要である。なぜならあらゆる思想運動と同様、儒教もまたきわめて攻撃的な性格を持っているからである。その攻撃性は孔子の時代からあったのだが、孟子が出現して極度に増幅する。孟子という思想家は、諸国をわたり歩きながら他の思想集団に難癖をつけまわって、しまいには自分だけが宇宙全体の道徳エネルギーと合体している巨人だと自己規定し、自分の意見にしたがわない思想集団をすべて完膚なきまでに叩きつぶそうとした男である。
この道徳的攻撃性は、宋学に引き継がれた。程伊川(ていいせん 1033〜1107)がその典型であろうし、それは朱子に継承された。朱子自身はしかし、晩年、韓侂胄(かんたくちゅう 1152〜1207)から「偽学」として攻撃されたので無念の最期を遂げたのである(慶元偽学の禁)。
その無念を引き継いだのが後年の朱子学者たちであった。特に朝鮮の朱子学者たちは、孟子→程伊川→朱子という道徳的リゴリズム(厳格主義)の系譜を忠実に、あるいはもっと尖鋭化して継承した人が多かった。日本にもそういう人物はいたのだが、日本の特徴は、そのようなリゴリズムの原理主義的思想家自身が朱子学一辺倒にならなかったことである。
(第二章 まず儒教を理解する/攻撃性 より)
孟子の説明のくだりがおもしろく、前に夢枕獏さんが何かのラジオで尊敬の意味も含めながら「玄奘三蔵って、実物はめちゃくちゃ嫌な奴だったと思う」という話をされていたのを思い出しました。孟子も意志の強い人だったのでしょう。
そしてこの引用部分の序盤の、【何を自分の「敵」と考えたか、そしてその「敵」と自己とはいかに異なるかと規定してきたのか、という点が重要である】という部分は、ヨーガ・スートラ第1章の17節以降やシヴァ・サンヒターの序盤を想起します。べつに攻撃的なわけではないけれど、この文章はどこ(どの流派)を意識して残されたのかな、と思わせる記述。
わたしは戦後生まれで儒学教育を受けていない日本人ですが、インドのヨーガを学んでいるはずが、いつの間にか混ざってくる存在(儒学)に対して、むしろそっちに心の軸足が自然に移っていてハッとすることがあります。
この本をきっかけに、そんなこれまでの混乱のいろいろなことが整理できました。
わたしが序盤で "不思議の森で出会った毒キノコ" と書いた本の著者・三島由紀夫の名前が出てくる箇所もありました。
陽明学といえば「知行合一」(ちこうごういつ)を想起する人も多いだろう。
王陽明はいう。
【訳】「知は行の始(もと)、行は知の成(じつげん)である。聖学にあっては(知行の)功夫はただ一つで、知と行の二つに分けることはできない」(『伝習録』上二七、五七〜五八頁)
「知行合一」という言葉は三島由紀夫などが盛んに取りあげたので、ここでいう「行」というのが、まるで刀をぶんぶん振りまわしたり蹶起したりというような身体行為を指しているというイメージがある。しかしそういう剣呑なことをいっているのではない。
(第五章 陽明学の核心 ━━ 「ひとつになること」/知行合一 より)
紆余曲折あってこの本にたどり着き、なぜ日本の古(いにしえ)のヨガが昭和の右翼っぽく見えることがあるかの疑問が解けてきました。
そして、同じ漢字数文字にも、それぞれの儒家の解釈とロジックがある。
漢字が読めてしまうがために混ざってしまう様々なことは、ほんとうにやっかいです。
この本を読むと、同じ東洋の思想でも、根本的に人間を一番上に置いている中国の思想がプリインストールされた状態が自分のスタート地点であったことがよくわかります。インドのヨーガを学ぶときに、インド大好き!の設定で走り続けても限界がやって来ることはだいぶ前から感じていたので、自分のスタート以前の地点(土の中の構造)をあらためて確認する機会がわたしには必要でした。
わたしは9年前まで、同世代の人の一部に対して、伝統とか本来のヨガと言いながら、なんでそういう方向へ行くの? と思うことがたまにありました。
そのあとインドのシャラ(道場)でヨーガをダルシャン(視点)として教わったとき、半数以上がヨーロッパから来た人たちだったので、自分が共通の聖典のない国の出身者であることを認識する機会が多くありました。そのあと日本の人同士で話すと、また発見があって。
自己の紐解きにはものすごく時間がかかりますが、遠回りでもこんなふうに学んでいくやりかたが、わたしには平和的な道です。