コロナ以来、日本の昔の映画を観るようになりました。もう4年になるので、今となってはけっこう多く観ています。
いろんな映画を観るうちに、この俳優さんはこういう役が多いというのがわかってきました。
浦辺粂子さんは若い頃から「婆や」か「おばさん」。笠智衆さんは若い頃から「お父さん」か「お爺さん」。長岡輝子さんは「お母さん」か「おばさん」(ややこしい w)。
わたしがエッセイにハマっている高峰秀子さんは陽キャのキラキラヒロインだけでなく超絶こじらせ女子を演じる作品もあり、バーの雇われママ役も上手。
司葉子さんは精神的に潔癖なところのある役がうまくて、ワリキリのできる妾をやらせたら若尾文子さまが日本最強。こだわりのない女性は中村玉緒さんが演じると軽さと同時に味が出るし、そこにフィジカルな快活さが欲しい時には左幸子さんが光ります。
新しい価値観で生きている女性では淡路恵子さんの顔がパッと思い浮び、そこにおきゃんなチャームを加えるなら団令子さん、魔性を加えるなら江波杏子さん、高級な方向へ振り切るなら越路吹雪先生のお出ましで、さらにコケティッシュな印象を加えるならウエストの細さが超人的な水谷八重子さんの登場です。
お仕事女子の面々も楽しく、美人の同僚といえば白川由美さん。男性に媚びない仕事を持ち、「女性を嫁に出して片付ける」の世界からいち早く抜け出した女性を演じる中北千枝子さんも格別に印象に残ります。
さて、今日はここからが本題です。
前振りが長くてごめんなさいね。
中北千枝子さんが登場すると自分の意志が試される
わたしは中北千枝子さんが登場すると「この人は先輩だ」という気持ちが起こります。自分を隠すことなく周囲と調和しながらザザッと生きていく姿を見せてくれる、稀有な存在。
小津監督の『早春』、成瀬監督の『娘・妻・母』で、その姿を鮮やかに見ることができます。
そしてわたしは中北さんと同じくらい、以下の設定の役を演じる原節子さんが好きです。
結婚したが夫に先立たれ、また独身になった。
ひとりで生きていく方向へ進みたいが、
再婚のレールに乗せられそうだ。
『東京物語』はレールに乗せない合理性が描かれているところに奥行きがあります。
これとは逆に、『秋日和』『小早川家の秋』(小津監督)、『娘・妻・母』(成瀬監督)では露骨に再婚のレール問題が立ちはだかります。
『秋日和』では、なんとかひとりでやっていける仕事を得ていて、娘には嫁に行って欲しい。自分ひとりなら大丈夫だから今はそれが合理的で、ちょっとハニカミながら本音をもらしています。
『小早川家の秋』では、再婚に向けた交際をごりごり提案されても「はぁ」と、にぶいフリ(?)で、暖簾に腕押しの対応を根気よく続けます。
決められない設定の美人の苦悩と、原節子さんのフィールド
『娘・妻・母』での原節子さんは、一度も外で仕事をしたことがない女性という設定で、家族から社会経験のない女性として見下されており、かなりしんどい役どころです。
このほかにも「ひとりで生きていく方向へ進めたりしないものかしら」という意思を持つ役に、『東京暮色』(小津監督)、『めし』(成瀬監督)があります。
そんな状況を1960年代の話として観るのはとても興味深く、
そうやって明確な居場所(居てもいいと思える場所)がない状況で立ち回っている原節子さんの “不気味な笑み” は、もうその印象だけでしっかり物語になっています。
昔に制作された物語
昔の映画は現代の感覚で見るとポリコレ的にNGといわれるものばかりですが、わたしの体感としては、精神的にナウな現実に近いと思う作品ばかりです。
ここ数年、わたしはリアルタイムで制作・公開された映画をあまり観なくなりました。
そんなに世の中は変わっていないのに "考えさせられる" ものばかりで疲れます。
時間の距離がある昔の日本の景色のほうが、落ち着いて楽しめます。
なかでも中北千枝子さんが登場する映画がいいんだよなぁと思っていたら、わたしが思う楽しさが書いてあるコラムをネット上に見つけました。
こういうコラムを見つけると、昔のインターネットにあふれていた発見の感動が解凍されてうれしくなります。