今年に入ってから小津映画を観始めましたが、これは1962年の映画。字幕なしでも会話の意味が全部わかったのはこれが初めて。
それまでは当時の言い方や固有名詞にわからないものがいくつかあって、いろんな昭和の言葉を知りました。
この映画はおじさん同士の卑猥なトーク内容がわかってしまう。ゆえに、ものすごく卑猥にきこえました。ヤメテー。ほかの人はさておき笠智衆をそこに参加させるのはヤメテー!!! と、わたしの中の純な少女が叫び声をあげました。(←まだ生きてた!)
そして今回も笠智衆は娘を嫁に出すわけなのですが、ノリちゃんシリーズのときとは時代が変わっています。わたしはこの結婚までのプロセスを追いながら、あることに気がつきました。
小津映画の娘を嫁に出す・片づけるシリーズは
意思決定のバリエーションを描いている
この『秋刀魚の味』では、ヒロインがチャレンジをします。えらい!
後悔したくないという理由で意思表示をし、それを家族も応援する。家族の男の人たちがなんとかしてあげたくてオロオロする感じがすごくいい。いいわ! ちゃんと罪滅ぼしをしようとしている。男の人たちがやさしい。
わたしも佐田啓二みたいなお兄ちゃんが欲しかった! と、当時かなり多くの女性が思ったんじゃないかと思います。
そして娘本人もそれ以前にチャンスはありつつ自分が積極的に動いていなかったことを認識しており、表面は穏やかです。自由意志というものについて深く考えさせてくれます。
現実をどーんと見せてくれる。気取ってきたツケって、あるからね……。
友人から『秋刀魚の味』を観るならそのまえに『秋日和』を観ておいたほうがいいと言われたのでその順に観たのだけど、『秋日和』では「どうぞ」「〇〇様がいらっしゃいました」くらいのセリフしかなかった(チョイ役だった)岩下志麻が主演に抜擢されて、感情の隠しかたが進化した娘を演じています。
この映画では、反面教師的に "ああはなりたくない" という父娘の生き方も描かれているのだけど、今の時代感覚で観れば、これはこれで娘に仕事さえあればそんなに不幸ではないと思う。というか、これを不幸扱いされる社会はしんどすぎ。
そしてその残念な父を演じている人が初代・水戸黄門であることに気づき、そりゃ昔の価値観なわけです。この時代に生まれなくて助かった。
わたしはこの父娘と似た境遇だったことがあるので、まともにこの幸不幸の基準を食らったら死にたくなるような描写でした。(こういう難しい役は、もちろん杉村春子! さすがの演技よー)
小津監督の時代の映画を観ると、いま70代以上の人がどういう大人の世界に憧れてそれをなぞってきたかがわかり、今の感覚では生臭すぎるセクハラにもパワハラにもいちいち驚かなくなります。洗練されたビジュアルでインプットできるので、免疫注射としてすごくいい。
年配のおじさんと結婚した若い女性が登場する場面も、若くて美しいぼんやりさんという性質が強調されているかのようで、全体的になにが幸せやら。と思わせる。
自分で葛藤して自分で決めた人生が、幸せの土台をつくる。葛藤を他人に丸投げすれば、それなりの結果になる。そういう現実をポップに見せてくれる。しかもこの作品は岸田今日子の登場で、オシャレ度爆上がり!
見ようによってはかわいそうな話でもあるけれど、意思決定のバリエーションの、これもひとつの現実ね。