うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

風の中の牝雞(映画)

タイトルは雌鶏、めんどりです。
戦争から帰ってきた夫とその妻のトラブルを描いたもので、夫が妻を階段から突き落としたあと階下に降りるでもなく棒立ちで階上から「大丈夫か」といちおう言って眺めています。こういう、”不器用さからのDVも愛情表現のねじれのひとつ” という暗黙の解釈で描かれた昭和の世界は、これからどんどん観るのがつらくなるけれど、なんか見慣れてる。見慣れてるものは見慣れてるんですよね……。こういう時、ああ自分は歳をとったのだなと感じます。


それでも妻が夫にすがりつくあの感じは、少し前に観た平成の映画「桐島、部活やめるってよ」で彼氏と一緒に帰るためだけに待つ彼女と似た、帰属意識でも所属意識でもなく従属意識ともいうような依存。平成だって変わらなくない? とも思う。

 

この映画は最終的にそれを乗り越えたことが美談になります。子供の入院費のために売春をする、国民皆保険がない時代の話を現代の価値観で斬ることはできないけれど、こういう人をイメージして昔の女はもっと忍耐強かったと言われたら、それはそれでしんどい。昔の映画を観るつらさがギュッと濃縮されていました。

 

月島の隅田川近くで男女がお弁当を食べるシーンでは、なんだか素敵な人間交流だなと思って観ていると、女性が「わたしが作ったんだから美味しくないわよ」と卑下してガックリくる。いい場面だったのに。そんなことの繰り返し。
同じ小津映画でも、その後に作られた紀子三部作(原節子演じる「紀子」が結婚したくないとゴネるシリーズ)とは真逆の世界で、ここまで自尊心の芽のない女性を描く作品を撮ったあとで、ああいう作品を撮るようになったのかと、そのギャップに驚きました。

未来は明るく描いたほうがいいけれど、芽が育たない土壌であることもまた事実。

 

追い込まれた女性の気持ちをリアルには想像できない男性のやさしさも、結果的には残酷。やさしい人しか出てこないのに、つらい社会のシステムを見せつけられる。ひとりも悪い人が出てこないのに、こうなる現実のつらさといったら。

女子会でマックス・ファクターをファックス・マクターと言い間違えたことを笑うシーンがあって、ほっこりできたのはそこだけなんだけど、ほかの映画よりも幻想が少なくてリアル。

自分で働いて生活できることがどれだけ幸せなことか。それをガツンと思い知らされる映画でした。

 

風の中の牝雞 [DVD]

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  • 発売日: 2010/04/01
  • メディア: DVD
風の中の牝雞

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