うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

はじめての精神科・心療内科 わたし流のフォーメーション

先日、はじめて精神科・心療内科へ行ってきました。メンタルクリニックというのかな。

わたしが行った病院は二つの科が併記されていて、どちらという区別もないようでした。

この話には前段があって、以下に書きました。

 

 

上記とまた同じことが起こったときのために受診してきました。

診察室で医師のかたから「何がありましたか」と訊かれ、先日起こしたクレーマー的な思考の話と、そのときになんとなく今までと違う感じがしたことを話しました。

 

 

どんな話をしたか・されたか

わたしからは、書類の読み違いから連想・妄想が展開したことについて話しました。

そうしたら、「閉経期の女性に起こる脳の仕組み」として医学的に最近わかってきたことを説明され、今後の作戦会議を一緒に立ててもらうような時間になりました。

すでに講じている策の中では、エクオールチェックをしてせっせと大豆食品を摂ることよりも、毎朝日光を浴びに出かけていることを褒められました。

 

ほんの数十分の会話でしたが、話す順番を直近からさかのぼっていくことで、時間軸を意識して状況を整理することができました。

医師のかたが「55歳くらいまでのことなので」とゴールを示してくれたことで、スッと仙骨が立ちました。そこから登山コースの案内のように、Aコース、Bコース、Cコースがあると説明をしてもらいました。

 

  • Aコース:理由がわかっているから、薬は使わない
  • Bコース:大きな揺れに備えてセロトニン系の軽い抗不安剤を備えておく
  • Cコース:終わりまで薬を飲み続ける前提で、静かにずっと抑え続けていく

 

Cは考えていなかったので、AとBでかなり迷いました。

薬の処方については、「朝の散歩で補充しているのと同じ、まさにセロトニン系のものです」と説明されました。

薬を使うかどうかのひとつの目安として「普段通りの生活が送れるかどうか」という考え方があるそうで、うーんうーんと、ものすごく迷いました。前回のあの被害妄想的な場面に対して、再発の恐怖がないといったら嘘になります。

そんなこんなでBコースで行くことにし、マイルドな抗不安薬10回分処方してもらいました。

 

セロトニンの減少が問題なら、ホルモン補充療法(HRT)もあるのでは? と思われるかと思うのですが、わたしのこの選択には理由があります。

 

 

子宮筋腫を切らない方針で過ごしている

今回わたしが精神科へ行くことにしたのは、持っている子宮筋腫が大きいというのがあります。

ホルモン補充療法(HRT)は、現在のわたしのような状態の人は、すすめてもらいにくいです。

 

婦人科の先生には、「あと数年のことなので、だましだまし行く方針でお願いします」と意向を伝えています。

それもあって、「発汗と手指のしびれは漢方で、乳腺の痛みはこのクリニックがいいですよ。メンタルのことで心配なことが出てきたら、それ専門のところへ行くことになります」と言われていました。

今回わたしが行ったのは、数ヶ月前に乳腺が痛んだ際に教えてもらった総合クリニックでした。

 

 

東洋医学原理主義者にならないようにしている

なるべく手術や薬に頼らずにいきたいのは、そりゃあ、本音を言ったらそうです。

30代の頃は特にその思いが強く、35歳頃から筋腫を切ることをすすめられていたけれど、そのままきました。

 

ですが、先日のような “脳内で起こること” は、ちょっと話が別だなと思いました。その先のことを考えるきっかけになりました。

社会生活を送る自分をいつも見てくれているもうひとりの存在がいなくなるような、コーチがいなくなる感じがしました。

これまでであれば、3試合くらいならプレイング・マネージャーも兼務できるぜ! と思えていたのが、その時は「今日は1試合だったから乗り越えられたけど、次は誰かの力を借りたほうがよさそうだ」と思いました。

 

10年後、20年後に振り返ったときに、これが「女性だけに強く起こるメカニズムをきっかけとした、つまづき」なのだとしたら、きっと悔しい思いをする。"頭" を大切にしようと思いました。

 

ジッドゥ・クリシュナムルティという人が、19739月の日記の中で、こんなことを書いています。

あなたは、たった一つしか頭を持っていない。それを大切にしなさい。壊してはいけない。それはひどく毒されやすいのだ。

(「クリシュナムルティの日記」9月17日/宮内勝典 訳 より)

シンプルな教えです。

 

 

 正気とはなんだろうか? 全人的であること、行動や生活や、あらゆる種類の関係において、断片的でないこと ── それが正気であることの本質だ。正気とは全体的であること、健康で神聖であることを意味する。狂気、神経症、精神病、失調症、分裂病。病名はなんでもかまわない。それは行動が断片的であるということだ。

(「クリシュナムルティの日記」9月20日宮内勝典 訳 より)

こういうときにはクリシュナムルティなんです。

JKといったら女子高生でもジャミロクワイでもなく、ジッドゥ・クリシュナムルティなんです。(参考

 

 

 

行動して考えたこと

今回このように受診をしてみて、わたしは処方薬にかなり抵抗を持っていたことに気がつきました。

あとで病院勤務経験のある人にわたしが処方してもらったお薬について話したら、「それは、すごくマイルドなやつ。うちこさんが依存や副作用をイメージしているのは、もっと強烈なやつです」と教えてくれました。

 

いま50歳前後で大きな子宮筋腫と長くつきあっていて、ここ半年の間になにか勘違いから失敗しそうになったとか、ひとりで沸点に近い場所に近づきながらネットや本で情報ばかり探しているような人がいたら、わたしの例(行動したこと)も参考にしてください。

 

ヨガをほぼ毎日長年やっているわたしでも、深い睡眠がとれているわたしでも、こういう対処をしています。頭を大切にするの。

最初のコース説明で行くと、Cコースの役目を日々のヨガで行いながら、Bコースで備えた感じです。

 

現在のところは次の生理の気配がまったくないので、ホットフラッシュ対策の漢方薬しか飲んでいないけれど、抗不安剤を持っておくだけで、気持ちが違います。スキー板の流れ止めを足にくくりつけたときのような安心感があります。

閉経してしまえば別の方法でホルモンを補充することもできたりするようなので、わたしの場合はこの方法で、この山場を歩いていくことにしました。

 

 

なぜここに書いたか

ヨガは古代の男性たちが開発したものなので、こういうのは自分でやっていくしかありません。

わたしの場合は母親が長くヨガをしていて、それでもあのしんどい時期には頭がこうなった、という話をしてくれたことがあります。そして、時期が過ぎればまた楽しくなるとも教わっています。

その時代にはその時代の情報の流行りがあってね・・・という話も聞きました。

「わたし(母)の場合はヨーグルトは合っていなかったのに、当時はそれがいいという情報が流行って、食べてたのよねぇ」と。

このようにいろんな話を聞いていたので、できるだけ冷静に考えられるときに対処した方が良さそうだと考えてきました。

 

男性が構築してきたシステムのなかで女性の身体を持ってやっていくには、「ひみつのくふう」が不可欠です。

ネットの時代は延々と情報収拾できちゃうので、わたしはこのタイミングで、こんなふうに脚と口を使いました。

 

わたしの基本的な考え方は、以前こちらに書きました。