雑誌『Hanako』の連載をまとめたもので、ほんとそれ! と思うトピックがたくさんあったけれど、読んでいてなんだかきつく感じたものもあり、これはわたしが著者の小説を読みすぎているせいだろうか。
特定の部位の美容談義にアクセルべた踏みの巻ちゃんみたいな弾とか、想像力のない人の鈍いゾーンに投げ込まれる石川聖的手榴弾とか、エッセイだと助走が少ないから「お、おおう」となる。
いっぽうで、日本人と外国人の骨格については充分すぎるほどの字数が割かれていて、大いに納得したりして。
あと、「コミばあ」が実在していたのはなんだか嬉しかった。
ベッキーさんのことを言っていることが明らかな2016年2月の『おかしな話』は、わたしは今でもおかしな話だと思っていて、恋は人をこんなにもバグらせる! くらいの話と思っていたら、そうならなくて、あれはなに。
そしてトランプ大統領が誕生した2016年12月の『疲れてるのはこっちだよ』で語られる「大事なのは建前だ。」の重さといったら。
2019年4月の『そのときケアが生まれた』は、なんとなく時代の潮目の微細なところを拾い上げたような話で、平成から令和のコミュニケーションの移り変わりを感じます。
2020年7月の、SNSについて書かれた『すべてが等しく無価値に』は、わたしも理想とする結末。
そう、みんながネットに上げられた情報を軽視するようになればいい。大切なことは構成と文脈で伝わるのだもの。
それで、リアルで出会えたらすごくうれしい。精神的に初期のインターネットと同じになる。
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川上未映子さんの小説は発売日にすぐにダウンロードして読みたいくらい、すごく楽しみにしている唯一の作家。同時代を生きているから、リトマス試験紙的な存在でもあります。
わたしは数年前から、人前で「親友」という言葉を使う同世代の人に配慮のなさを感じるようになっているのだけど、なんでかな・・・。この本を読みながら、そのことをまた思い出しました。
「親友」がいないと感じて(いたとしても、いないと感じて)寂しい思いをしている人って、実はすごく多いんじゃないかと思っているのです。
なのでこの本にあった、「親友」の文字列が刺すように何度も登場する『見知らぬ町で』という話は、前半は自分のネガティブな部分が反応しました。だけど最後はまったく同じ気持ちになっていました。
で、その流れから、やっぱり小説が読みたくなりました。
『すべて真夜中の恋人たち』をまた読みはじめました。これはもう7回目くらい。
聖が冬子に信用と信頼の話をするところが好きで、あそこは何度読んでも、じーんときます。
ああいう、「親友」と公言しないような人間関係がわたしは好きなのだよな・・・。
ただもっとカジュアルに使えばいい言葉ってだけなのかもしれないけれど。