高野山から戻った後のヨガクラスで、高野山へ行ってきましたと話したら「高野山って、何があるんですか」とまっすぐに訊かれて、ものすごく困りました。
ディズニー好きの人が浦安へ行くのと似ているけれど、そこにイベント性はありません。
いま世間で耳にする「推し活」とは力学が真逆です。いやこれはむしろ「推され活」なのだ、という説明でわかる人が、たぶんリピートしてしまう。
聖地ってそういう場所なのだと思います。
ケーブルカーで上げてもらえる時代に生まれて、ほんとうにラクさせてもらってるわ〜。と、もうここから多幸感がはじまっています。
高野山は盆地なので、けっこう蒸し暑いです。
飛行機で関西空港まで行って、そこから南海電鉄で極楽橋まで行って、そこからケーブルカーです。歩いて登る場合は、前日に南海電鉄で九度山駅の近くまで行って前泊し、朝から山を登ります。
(九度山じゃなくても、河内長野くらいからでも日が長い時期なら行けます)
▼九度山の町も、とっても楽しいですよ!
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精神面での理由を訊かれたら、やっぱりこれです。
空海さまのパワーフレーズ「同行二人」って、コーランの「アッラーは頸動脈よりも近くにいる」みたいなところがあるのだけど、そこにわたしは「見守っているぞ/監視しているぞ」というメッセージよりも「それでも歩いていこうではないか」を強く感じるんですよね・・・。
「あなたは一人で歩いているつもりかもしれないけれど、わたしが一緒に歩いている」
たった四文字でわたしからこんなにエネルギーを引き出す推進力、すごくない? と思うのです。
さて。それはそれとして。
その同行者のイメージ・デザインは様々です。
高野山には、あちこちにいらっしゃるの。お大師様が。もうこの登場頻度を求めて行っているようなものです。
浦安へ行ってネズミだけがひたすら登場したら「アヒルや熊や犬は休んどるんかーい!」ってなると思うのだけど、高野山はひたすらお大師様、お大師様、お大師様。
何人おるの。同行二人じゃなかったの? 同行千人くらいおるんだけど何これ、てなります。
このかたは今回初めてお目にかかりました。
スタンディング・ポジションでヨガマットを担いでいるお姿はけっこうあちこちで見るのですが、腰掛けバージョンはあまり見ません。
こういうお大師様のほかにも、フォークロア調というのかな、そういうののほうが、グッときちゃう。
こーゆーお大師様。素朴絵画ってやつですね。
同じ画伯の作品。軍人じゃないか、とか言わないの。
わたしこういう、好きなように祈ってる感じのやつ、大好きよ。
きっとなにか、時代のなにかがあったのだと思うの。
こういうお堂が、あちこちにあるのです。
お寺のお坊さまもキャラ化されていたり・・・
(正式なゆるキャラに「こうやくん」というかたがいらっしゃいます)
これは、コンビニのイートイン・スペースの椅子の前にあったもの。
草みたいなのは「高野槙」です。こういうのが、あちこちにあります。
インドのリシケシにシヴァ神がたくさんいるのと似ています。
あとは、ここのお餅が食べたくて行きます。
「みろく石本舗 かさ國」の餅菓子を、イートイン・スペースでいただきます。
くるみ餅(←イチオシ)と、焼餅(←二番目推し)を食べます。
日によって、くるみ餅を二個にするときもあります。生菓子はほぼ全部食べたことがあり、この二つが鉄板のツートップです。
一泊二日なので、二度行きました。とにかく行ったら毎日行きます。
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高野山は遠いしアクセスも悪いのだけど、わたしにとっては安らぎを味わえる場所。
お店の人もお寺の人もゆったりとした関西弁で親切だし、お堂や参拝所の解説のかたと話すと楽しいし、まったく嫌な思いをしたことがないんですよね・・・。あっても忘れちゃってるか、それすらもいい思い出に塗り替えられてしまう。
高野山のおじさんたちの、関西弁のイントネーションの英語接客も大好きです。
「かまへん かまへん」のイントネーションで「カムイン カムイン」と話す、あの感じがたまりません。
心の疲れをとりにくる人が集まる場所には、特別な力があると思っています。
腰痛になる前じゃないと来れないところが高野山だけど、車で若い人に連れてきてもらっている高齢のかたも見かけます。
このお店の左のほうに、「こうやくん」がいるの、見えますか。
わたしはあまりグッズなど買ったりしないのですが、なぞるだけの写経用紙や筆ペンは高野山だとバリエーションが多く、見ていて楽しいです。
▼過去の高野山は何度も行っているのでひとつのカテゴリにして過去ログをまとめています。