うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

格差と分断の社会地図 16歳からの〈日本のリアル〉 石井光太 著

選挙運動のシーズンに、様々なメッセージが溢れている頃に読みました。
この本は10代後半の人向けに書かれており、社会問題をこれまで失っていた視点で見ることができます。わたしは10代ではないので、自分が社会のなかで必死にあがいている間に何が起き、進んでいたかを知る感覚で読みました。


ニュースを見ると、さまざまな心の目が動きます。そして目の前のことに気持ちを切り替えると、その感情は流れていきます。でも覚えてもいます。それが、あとあと繋がっていきます。

かんぽ生命の保険の売り方についてモヤモヤしたときに感じたのは、まさに以下のようなことでした。

 国を代表する生命保険会社が、ここまであからさまに高齢者を狙っているとするならば、日本全体でどれだけ多くの事業者が、合法、違法問わずに似たようなことをしているのだろう。

 

 バブルの崩壊以降、日本では格差による二極化が進んだばかりか、持たざる者の割合が大きくなっていった。現在の多くの若者にとって、大人になることは、経済的困窮を受け入れることになりつつある。

 

 それが嫌なら、どうすればいいのか?
 ビジネスの世界であれば逃げ切って資産をつくったお年寄りに狙いを定め、あの手この手をつかって商売をする。犯罪の世界であれば、特殊詐欺などでだますか、経済虐待をするかして、無理やり金を引き出す。
 誰も明確にはいわないけれど、日本にはそんな風潮ができあがってしまっている。
<最終講義 高齢者への「報復」は何を生み出すのか より>

わたしはコロナ以降、東京の街を歩く機会が増えました。下町へ行くと、掲示板で最近の詐欺の手口紹介と注意喚起をする貼り紙を見かけます。なかには、こりゃわたしも騙されそうと思うものもあります。

実生活では、家にいる時間が増えてから、ピンポーンと昼間にやってくる人がこんな頻度でいるものかと驚きました。自分が世間知らずだったことを知りました。


この本の前半は『ケーキの切れない非行少年たち』に書かれていたことと重なるものがいくつかあり、読みやすいレイアウトで説明されています。


失われた20年とか、いやもう30年に向かっているとか、選挙期間中にはさまざまな問題を振り返る話題が多くありました。こういうのは、失っているさなかにはよくわからないものです。
自分が持っている日々の「視点」は、ふとした機会に気づく、そういうもの。
以下の部分を読んで、夏に友人と話したことを思い出しました。

 社会で生きるより快適だと考え、軽犯罪を重ねて何度も刑務所に入る障害者がいる。これを累犯障害者と呼ぶ。
<講義6 障害者が支援をはずされるとき より>

少し前にわたしがこのブログに感想を書いた森鴎外の『高瀬舟』について、友人が「自分も同じ物語を読んだけれどその視点はなかった」と言っていた部分が、まさに上記のような認識でした。
高瀬舟』は犯罪者本人ではなく家族が長患いという設定ですが、わたしはわりと自然にそんな見かたをしていたのでした。そういう視点を持っていた。


10年ほど前、わたしはたまに霞ヶ関へ傍聴へ行っていました。
最初はさまざまなテクノロジーを使った詐欺の現実を学ぶ場として関心を持って行ったのですが、2回目からはもう別の案件を傍聴しに行くようになっていました。
午前中は覚醒剤、午後は犯罪事件。オウム真理教の教団に関するものも傍聴したことがあります。それは自分が関わっている世界がいかに限られた世界かを痛感させられるもので、その後で読んだスワミ・ヴィヴェーカーナンダの本(なかでも特に『カルマ・ヨーガ』)が響きました。

 

心の面ではそんなふうに、少しは現実を知る練習をしてきたけれど、実社会を渡っていくのはそれはそれで大変なこともあります。わたしはこの本のようにやさしく解かれたものでないと、現実を受け止められません。

この本の末尾で、「社会は一つの船のようなものだ」と、イプセンの言葉が引用されていました。
30代の頃からあれこれ考えて、素手でも泳げる体力をつけようと頑張ってきたけれど、大切なのはそれだけじゃなかった。そこに気がつくのに、わたしの場合は実社会の中での葛藤が必要でした。
この本は自分が属する社会をあらためて理解するよいガイドになりました。