本棚カテゴリでははじめてのインド人です。いま読んでも通じる言葉の洗練度合いでは、格段の切れ味を持つスワミ・ヴィヴェーカーナンダさま。岡倉天心さんと親交のあったかたです。
わたしはいろいろな人の本を読むのですが、「ああ、これ、スワミ・ヴィヴェーカーナンダさまも言ってた」と思うことが多いです。わたしのなかではよくトランプで同じ数字や絵柄が揃ったときように「同じこといってるの、これ!」というような紐付けが行われるのですが、そんな例を紹介してみたいと思います。
たとえば、宇野千代さんの「恋愛作法」にあるこれは
誰の心の中にも、自尊心と言うものは隠れている。この自尊心があるために、人と人との関係が、何となく、ぎくしゃくすることがある。自尊心と言うものが隠れている間は、何事も起こらないのに、一たび、ちょっとでも頭をもたげて来ると、面倒なことが起こる。そのことを知っている人は、そのとき、ちょっと自分の自尊心をよそへ持って行く。人の目につかないところへ、隠しておく。自尊心なんか持っていなかったような振りをする。それに巧く成功すると、人と人との間には、案外、何事も起こらない。自尊心をちょっとどこかへ隠す、と言うのは、何と言う便利なことであろうか。
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「生きる秘訣(第一部 / 働きの道)」にある
利己心の触覚を出す傾向を打ち破れ! あなたがそれを抑制する力をもったとき、それを閉じこめておけ。心が利己の波に巻きこまれるのを許すな。
と、ワンペア〜。
きっとこうやって大勢の人がなんかや誰かを「憎んでおこう」と決めて、自分の中に眠る憎しみのパワーを全部とりあえずそこに注ぎ込んでそのもののせいにすることに中毒しているみたいな変な状態になって、戦争っておこるのかもしれない……のんきな思春期の私はそんなことを考えていたが、やはり、心は傷ついていた。
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「生きる秘訣(第二部 / 悟りの道)」にある
私は街頭をウロつく夜の女を冷笑しなければならない。なぜなら社会がそうしろと要求するからだ! 彼女は私の救い主、彼女が街頭をウロつくのは他の婦人の純潔の原因である。それを思え。男も女も、あなたの心の中で、この問題を思え。それは一つの真理だ ── 露骨な、率直な真理だ!
と重なり、ここで、ツー・ペア〜。
これは本からではありませんが、大瀧詠一さんの
期待は失望の母
は、
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「愛の叡知」にある
われわれは捕えられる。どのようにして? 自分が与えるものによってではなく、自分が期待するものによってである。われわれは自分の愛の報いとして不幸におちいるが、その不幸はわれわれが愛しているという事実から来るものではない。われわれがお返しとして愛を欲している、という事実から来るのだ。
でさらに追い込んでくださる。ここで、スリーカード。
まだまだあります。ノってきましたか?
わたしははじめから、ずっとノリノリです。
続けます。
潜在意識の無意識に連想する方向は、体が決め、体によって決まっていく。だから誰かが次にどういうことを連想するかというようなことは、その人の体をみればわかるのです。
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「カルマ・ヨーガ 働きのヨーガ」にある
われわれが行うすべての働き、肉体の一つ一つの動き、われわれが思うそれぞれの思いは、心の実質の上にそのような印象を残し、そのような印象は表面にはっきりと現れていないときでも、下層において潜在意識として働くだけの力を持っています。各瞬間におけるわれわれの存在は、心に刻まれたこれらの印象の総計によって決まるのです。
体癖とカルマ論がドンズバのぴったんこ。ここで、フォーカード。
野口先生を師と仰いでいた沖正弘先生の「ヨガに生きる」にある
他人の汗と涙の結晶を、貰いっぱなしで平気でいることは最大の神経麻痺であります。神経麻痺が心身及び生活の異常をつくりだすのです。悩みは心と生活の神経麻痺からの回復要求であります。ですから自分も汗と涙の結晶を他のためにさし上げようと努力する生活が、自分と社会に進化をつくりだす自然心であると思います。
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「カルマ・ヨーガ 働きのヨーガ」にある
自分が果たすまわり合わせとなった義務の性質についてぶつぶつ言うのは、結果に執着している働き手です。無執着の働き手にとっては、すべての義務は同等に良く、しかも利己主義と欲望を殺して魂の自由を獲得するための能率的な道具です。われわれはともかく、自分を高く評価しすぎです。われわれの義務は、われわれが納得するよりはるかに厳しい標準による、われわれの功罪の判定をもとにして、決定されるのです。
もうここで、ストレートフラッシュ。
そしてわたしが少し疲れたときヴィヴェーカーナンダ師の本を開く理由は、「カルマ・ヨーガ 働きのヨーガ」にある、ここ。
カルマ・ヨーガは、人が生まれつき持っている自由への愛以外に、なぜ働くための動機を必要とするのか、と問います。一般の世俗的な動機を超越なさい。
鉄板のカード。
たくさん本を読むことができない、どのインド人から訪ねていいかわからない。
そんな人は、スワミ・ヴィヴェーカーナンダ師の門を叩くことをおすすめします。
▼過去ログリンク
- 立ち上がれ目覚めよ
- インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯 田中嫺玉 著(最終章)(ナレンドラ時代のエピソードが読める章 / 師匠の伝記)
- 愛の叡知 ─ ヴィヴェーカーナンダ講演集
- 生きる秘訣(第一部 / 働きの道)
- 生きる秘訣(第二部 / 悟りの道)
- カルマ・ヨーガ 働きのヨーガ(初読・2010年)
- カルマ・ヨーガ 働きのヨーガ(再読・2014年)
- ギャーナ・ヨーガ ― 知識のヨーガ
- (哲学講義として読む)ギャーナ・ヨーガ ― 知識のヨーガ
- 普遍宗教への階梯 ―― スワミ・ヴィヴェカーナンダ講演集
- 立ち上がれ目覚めよ(再読・2020年)