うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「うれしい」「たのしい」「ありがとう」と、わたしたちは何度も言った

先日の週末に、静岡市で急な同窓会のような一日を過ごしました。
帰りの乗り物の中でもじわ〜んと、こういうなごり惜しさって言葉にできないものだなと、言語野の隅々を意識が走り回りました。


もともとは、土日にひとり旅をする予定で静岡へ行きました。
ずっと行きたかった中勘助記念館が目的です。日帰りでもよかったのですが疲れも考慮し、ビジネスホテルを予約して行きました。
直前だったけれど、金曜に静岡県に住む学生時代の友人に連絡をしてみたら合流してくれることになりました。日曜にふたりの同級生と三人でドライブ観光をしました。


ひとりは三年前に会っていましたが、もう片方の友人とは卒業してから一度も会っておらず、約25年ぶりです。厚かましいかな……と思いながら連絡をしたのですが、「連絡をくれてありがとう」と何度も言ってくれて、その後も三人同時に嬉しさで頭の中がふわっとするような、まとまりのない会話が何度も繰り返されました。

朝から集まっていたのに、あっという間に帰る時間になりました。

 


行きたかった場所がそもそも古民家だったこともありますが、中勘助記念館の人に撮ってもらった写真を見ると、ちゃんと三人とも立派なおばさんとして収まっています。
そりゃそうです。でもそれがなんかまた、後からくすくす笑えておかしい。
それぞれがこの年齢になるまでとにかく大変すぎて、こんなふうに会う余裕なんてなかったから。

 


お昼ご飯を食べながら、なぜいまこういう暮らしなのかを当然いろいろ訊かれることになりました。自然に自分のこれまでの数々のことについて「その時はそういうふうに自分が思っていて、結局こうなったの」と話すことができました。ずっと着たまま休憩するのが当たり前だと思っていた心の甲冑を脱いでくつろぐような瞬間が何度かありました。


なんたって25年ぶりだから、もちろんすべては説明できません。身についたこともあれば、身につかなかったこと、うまくいかなかったこと、なじめなかったこともたくさんあります。それぞれが20代30代の間にそれぞれの選択をして、その時々でこういう心の時期があったという話をウンウンと聞いて話して、なんだか泣けてきました。
ずっと笑っていたから実際には泣きはしなかったのだけど、概念として泣けた。心が空気になった。

 


自分が今よりもさらに手が付けられないくらい未熟だった二十歳の頃を知ってくれている友人に会うと、いつもこういう気持ちになります。
わたしは人づき合いがマメではないし、儀礼的なルールの理解にズレが多くて無礼なことをやらかすし、スマートな年齢の重ね方をしていません。こうやって急にでも連絡をしようとするのは、友人いわく、わたしらしいとのことでした。
最初からなにも悪いことはしていないのだけど、連絡したことを喜ばれてうれしかったり、話すと泣けてきちゃうのって、なんなんでしょうね。
少しだけ勇気を出したら、心のふるさとみたいな場所が増えました。

 

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