うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

陰ヨガで3分と5分の間を観察する

少し前に、家で行なっている陰ヨーガについて書きましたが、このメニューはひとつのポーズを3分〜5分キープするため、タイマーを使っています。
スタジオで習うときはインストラクターが時間を計ってくれるのでタイマーを見ることはないけれど、ひとりだとタイマーをちらっと見たくなるタイミングからの心の動きが観察できます。
なんというか、要約すると

 


 あばれはっちゃく

 


です。
その要約、さっぱり意味わかんないです! というヤングのみなさまにおかれましては、近年普及している便利な動画集合体サイトなどで検索いただければと存じます。
あばれはっちゃくには「熱血」「痛快」「逆転」などがあり、水戸黄門のように初代・二代目・三代目と役者が引き継がれます。この説明はこの辺にしておきましょうか。

 

 

でね。
毎回、陰ヨーガの3分と5分の間のいくつかのポーズで、特にわたしはシューレースというポーズからの側屈・右足が上のバージョンでそれが毎回強く起こるのですが、3分を5分に延長したら不快が首に転移して、なるほどこれが著者サラ・パワーズさんおっしゃるところのそれかと思いました。

陰プラクティスを初めておこなう場合、各ポーズの保持時間は1分〜3分程度をおすすめします。私の指導経験から、ほとんどの人にとって、意欲が持続するベストな保持時間は3分であると思います。そして、残りの2分は、不快な感覚を受け入れる幅広い能力を育てるための良いトレーニングになると思います(ただし、危険ではない範囲内に止めてください)。
<25ページ 陰ポーズの三原理 より>

「不快」が引き起こすあれこれを観察することは、ヨガの練習のなかでも最も社会生活に役立つところ。

無理な筋道で自分を正当化しようとして自爆することを食い止めたり、もうすっかり大人である年齢を過ぎてまで繰り返す失敗や八つ当たり、それによる自己ブーメラン的絶望を、ブーメランを投げる前になんとかしたい。振り上げた拳は下ろすのが難しいのだから、そもそも振り上げない知恵をつけたい。
やっとこのメニューの意義が理解できるようになってきました。

 


DVDでやってみたのが10年以上前で、線のたくさん引いてある友人のこの本を読ませてもらったのが3年前で、スタジオでなりゆきでやるようになったのが1年半前で、さらに自分ごととして感じられるようになったのが今。

このサラ・パワーズさんの本は、序盤にある個人の練習経験の歴史の振り返りのところも興味深く、まるで自分のことが書いてあるのかと思うほど。読んで、ぎゃーっ、となりました。

 


感情についての説明の箇所にあった一文も、ずっと「感情」と「思考」の違いがよくわからなかったわたしに示唆を与えてくれました。

 自分がつくった物語ではなく、有りのままを観察していると、恐怖によって覆い隠されていた直感やインサイト(本質を見通す力)が段々現れてきます。
<34ページ 感情における特性 より>

「自分がつくった物語ではなく」のところは、わたしは他人が無理やりこしらえている物語を多数聞くことで、自分に起こるそれもわかるようになりました。

いま他人がまさにやっている無理な物語構築を、わたしもやるときはやっていると気付く瞬間を生み出すという点で、よくある人生相談コンテンツにも大きく意義を感じるようになりました。
恐怖に立ち向かうプロセスの中にある妄想を「暇だね」「無知だね」と扱うこともまた、自分はそうでなはないという物語の中にいようとする行為なんですよね。


これは一度その仕組みを知ったら次回からは一発で抜けられるというものではなくて、毎回手順を追って起こし続けていく必要があるもの。サラさんの言葉では「自分がつくった物語ではなく」のフレーズがその示唆になり、その前には5年前に読んだ三島由紀夫の小説『音楽』が強烈にそれを教えてくれました。

 


ヨガを「嫌なことを忘れるため」ではなく「社会の中で狂わないため」にやるとき、中間にある山は大きく険しい。この本の序盤にはそれに取り組んで言語化しようとしたサラ先生の苦難がぎゅっと詰まっていて、「全米が泣いた」と同じようなニュアンスで、全中年ヨガ練習者が泣く。そういう文章。

 

わたしは今は、週に何度か肝臓を胆囊のメニューをやっています。

 

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陰ヨガの新しい教科書 Insight Yoga

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