家庭でも仕事でも食事や料理について日々あれこれ思い・実践するフードライターさんによる本。ヨガの練習でお会いする方が「気楽に読めていいですよ~」と貸してくれました。
年齢とともに迎える食後の感覚について、それ! と思うことが書かれていておもしろく、アンケート結果にあった
「食べすぎると、夜までにお腹が空くだろうかと心配になってしまう」
の一言に救われました。
あと、
苦いものを食べると、体の中のくたびれた内臓たちが喜んでいるような気になる
これは、本当に。なんで。
いつからそうなった。
他にも、本当にそうよね! と思うのは
中高年男性の情報はモテと絡めて記事にされがち。そういうのはもう、うんざり
↑
これ。
おじさんたちがおじさん同士、モテとは無縁の楽しい人生談話が小津映画の世界には確かにあるのに。モテでもウェーイでもオタクでもコレクターでもない日常があったはずなのに。
著者は40代になってから同棲を始められたそうで、その話もちらほら出てきます。
趣味でやっているレベルの料理を毎日やるものだと思い込んで憂鬱になっていく様子がリアルで、これみんな読んだ方がいいとこだぞー! と思いました。
「私は一食の用意が出来るのだから、それを毎日やればいいだけ」なんて甘い考えの先に待っていたのは大きな落とし穴。「家事としての料理を担当すること」は、買いものから片づけまでを含むあまりに複合的な仕事で、近づいてみるまで実態の大きさにはまるで気づけない。そう、気づけなかった。
(「無理なときは無理しないにたどり着くまで」より)
日持ちする野菜だと根菜類と芋類ばかりになるし、ヘルシーなおかずの作り置きをしたのに買い食いのお惣菜に惹かれる夜もある。あれを買うならあのスーパーのほうがいいからこっちのルートで帰りたい。駅の出口はいつもの反対側から出よう、などなど。自炊ベースになると日常の行動に紐づく細かな連結が増えるんですよね。
そんな、食事をきっかけに考える日々のことが綴られていました。
わたしはここ一年ほど、月に何度か職場の同世代でランチへ行くのを楽しみにしています。同じものを食べて会議を終えて、フリーアドレスのオフィスで近くに座って仕事をします。
15時頃になって「今日のランチがまだ消化していないのだが」とつぶやく人がいたり、帰りがけに「今日のランチのニンニクが今(胃から)上がってきたのは、わたしだけだろうか?」「夕飯を食べられそうにない」なんて進捗報告したりして。
こういうチェックの方が、年に一度の健康診断よりも役立つ。実感として、そう思います。
<最後に、余談>
このブログは関西のヨギーさんたちも読んでくださっているので、以下のメモをここで共有いたします。
伝言:兵庫県西宮市「和菓子所 桔梗堂」の「白玉しるこ」が絶品らしいですー