先日久しぶりに友人と会ったら、高齢の親族の諍いの板挟みで疲れることがあったと話していました。
久しぶりに会う妹が遠方からやってくるので、兄がホテルでのコース料理を予約し、一緒に食事をした。だけど妹の服装がそこにふさわしくないものだった。
兄はその怒りが収まらず、後になって妹にそれを伝えてきた。
── そんな出来事の連絡に巻き込まれたと。お兄さんは80代で、妹さんは70代後半。
* * *
よくよく話を聞いてみると、妹さんはお兄さんが想定しているような敬意を、そもそもお兄さんに対して抱いていないようでした。
それは家族のデザインの問題で、お兄さんはその家で用意された環境に疑問を抱かずに生きてきたけれど、妹はその優先順位のために進学を諦め、働いたお金は家(=兄の将来)の資金となり、その後は結婚して他人の家に嫁ぎ、もう何十年も経っています。
新しい基準で暮らしています。
このたびのコトの経緯は少々ややこしく、兄は少し前に妻に先立たれていて、その悲しみの中で妻の残した高級な服を妹に送っていたのだそう。
ダンボールで送りつけるような形で。
兄の怒りは「良い服がないわけではないだろうに、あんな服を着てくるとは」ということらしいのだけど、妹はその遺品を受け取るところまでで役割を果たしたと思っていて、きれいさっぱり、高級な服は売り払い終わっている。
高級品だから嬉しいだろう、着るだろうと思い込んだお兄さんは、その服を着ることが妹さんにとって “当たり前でない” ことがイメージできなかったみたい。
生前から
「あらお義姐さんその服すてきね。そのうちあたしが着られるかしら」
「んまあ!(クスッ)」
なんて明るくジャブを交わす会話のあった関係性でなければ成立しないことを、間接的な物品の移動とそのブランド力で成立させられると考えるのは、お兄さんの悲しみが生み出す幻想?
権威信仰の悪魔合体が起こっています。
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こういう現実の話を聞くと、昔の映画『東京物語』の終盤で杉村春子さん演じる女性が末っ子の妹に「あの夏帯、あれあたし形見に欲しいの。しまってあるとこわかる? 出しといて」とさっぱり要望を言い放つ行動への理解が変わります。
彼女は末妹(香川京子さん)にとっては姉だけど、兄(山村聰さん)にとっては妹。
中間子の長女として、自分なりに過去と現在の落とし所を探しているんですよね。
うまいガス抜きです。
── わたしたちはどうやら人生の旅の途中で新たな視点を得る時期に突入しているみたい。
友人は今日の話に出てきた妹さんの実子なのだけど、母親を応援する気持ちになれず、複雑な表情をしていました。
他の友人からも、近頃こういう話がちらほら出てきます。