うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

唐突な質問にムカついたり傷ついたりするか

先日、友人からメールが届いた。物事の捉え方についての相談だった。
普段から親しくしているわけではない知人からLINEで唐突な質問がきて、モヤモヤするという。どうやら転職話のようだ。
「あなたならどうする?」と、いしだあゆみの歌のようなリクエストがあったから、その日のうちに返信をした。

 

 

わたしはそのメールが来た日に、別の友人Bと食事をしていた。
「こういうことって、あるね」「あるねぇ」と話し、わたしにとってはその時に話してくれた友人Bの考えもたいへん参考になるもので、なるほどと思った。

 


文字通り三者三様、それぞれに感じ方が違うことがわかった。

いちばん雑なのはわたしで「自分はその人にとって手軽な存在であることがわかっただけ(行為によって可視化されただけ)」と解釈する。いつかネットワーク・ビジネスに誘ってきたりするかもしれないな、と想像したりする。人にはコンディションがあるから、相手のそれも自分のそれも固定しないほうがよかろうと考える。

 


そんなわたしに友人Bが「相手はわたしに話したいことや聞きたいことがあるけれど、”わたし” の話を聞く気はないであろうという悲しみがあってね・・・」という話をしてくれた。

それがたいへん腑に落ちる説明で、友人Aからの相談に雑な解釈をするわたしの理解を大いに補強してくれた。

それをさらにわたしなりに分解すると、こういうことだ。

 

  1. どう感じたかを聞く
  2. どう考えたかを聞く
  3. どれ(どっち)に決めたかを聞く
  4. 経験者だからわかる近道を聞く

 

よくある唐突な質問のトラブルは3と4にあり、ここでは質問された側の主義主張はノイズになるか後回しになる。

3と4で起こるモヤモヤの原因は、「あなたの主義主張の話はいらないんで」という前提をはじめから示されていると感じるころにあるのかもしれない。友人Bの話を聞きながら、そう思った。

そもそも1と2のコミュニケーションがあれば、唐突とは感じない。

 

 

友人Bは、質問を受ける側の悲しみを知っていた。

わたしはこれまで、それを悲しみと認識していなかった。よくあることとして処理してきた。スピードの速い業界にいると、1はカットしてなんぼ。2から話せるとスマート。いきなり3は無能。4を引き出すのは技術。この考えはこの考えで、わたしは気に入っているところがある。

 

自分と違う環境でやってきた人と話すと、事後の捉え方の面で勉強になることが多い。