ずっとKindleのなかにあった一冊です。GWはインドネシアにいたのですが、旅の初日からの数日でこの本を読みました。旅をしながら旅の本を読むのはよいものですね。
この本のおかげで旅の間の思索のしかたがずいぶんと変わり、サブタイトルをなぞってわたしも「夢を旅した中年」になりました。
本来自分が志したい道や生き方のコンセプトは、ほかのひとにはわからない。自分に訊くしかないものです。
これまでわたしはそれができているという根拠のない自負があったのだけど、それはいまの日本社会で他者と比べてそう感じていただけ。それはただのユニーク(英語の意味でのユニーク)でした。何年もかけて「おおげさなことがないようにしたい」という意志をしぼりだしたつもりでいたけれど、もう少し深くその理由を知ることができたような気がします。
この本はかねてより知人にすすめられており、著者がもともとブラジルで人気の作詞家であったこと、カトリックとしての背景なども少し聞いていました。ストーリーがシンプルなのだけど、ピラミッドへ向かう旅の要所要所で出会うグル(師)たちの言葉がいい。その教えには同じ啓示宗教のなかでイスラームの思想を背景にしたものもあり、インドネシアで日々感じる人々の精神性の特徴を日々感じるなかで読んでいたので、沁みるものがありました。
引用の前に、アウトラインとしての感銘ポイントは、こんなところ。
- 「愛」について書かれた修行本、ともいえるけど、それが努力や意志の源になるものであるという骨子になっています。その骨太かつしなやかな思想には圧倒的に納得できるものがありました。
- 人が人をコントロールしたくなる心のからくりが説かれています。
- お金の持つ力、悪い妄想をする心のはたらきについてのアプローチは、漱石グルジに近いものを感じます。
スピリチュアルなストーリーの中に上記のような現実に向き合うための思想が織り込まれており、善悪二元論を超えようとするイスラーム流の(=コーランの)アプローチをとらえやすい内容になっています。
どの登場人物のセリフとは書かずに引用します。啓示宗教を下敷きにした教えが満載です。
- 同じ友人といつも一緒にいると、友人が自分の人生の一部になってしまう。すると、友人は彼を変えたいと思い始める。そして、彼が自分たちの望み通りの人間にならないと、怒りだすのだ。
- 結局、人は自分の運命より、他人が羊飼いやパン屋をどう思うかという方が、もっと大切になってしまうのだ。
- 僕は他の人と同じなんだ。本当に起こっていることではなく、自分がみたいように世の中を見ていたのだ。
- 砂漠はとても大きく、地平線はとても遠いので、人は自分を小さく感じ、黙っているべきだと思うようになるんだ。
- これは善玉と悪玉が戦っているわけではない。力のバランスのために両者が戦っているのだ。そしれ、この種の戦闘が起こると、通常よりずっと長く続く。── それはアラーの神が両方についているからだ。
- おまえは自分の心から、決して逃げることはできない。だから、心が言わねばならないことを聞いたほうがいい。そうすれば、不意の反逆を恐れずにすむ。
この小説の「少年」のアルジュナっぷりがすばらしいのですが、こたえる師もまた葛藤を超えていて、師はクリシュナのような至高の存在ではありません。いろんな師が登場するなかで、ここが特にしびれました。
「おまえさんはガラスをみがかなくてもよかったんだよ」と彼が言った。
「コーランには、おなかのすいた人には食物を与えよと書いてあるのだ」
「それなら、なぜあなたは、私にみがかせたのですか?」少年が聞いた。
「クリスタルがよごれていたからさ。それにおまえさんも私も、自分の心から、否定的な考えをぬぐいさる必要があったからさ」
「おまえさんも私も」というくだりが沁みます。
「ここではぶどう酒は禁じられているのではありませんか?」と少年は聞いた。
「悪いのは人の口に入るものではない」と錬金術師は言った。「悪いのは人の口から出るものだ」
ここも沁みます。食物にしても言葉にしても、主体性を棚上げした善悪二元論をバッサリ。
ほかにも、この物語の中の「スプーンの油」のくだりに心を溶かされない人は、皆無ではないかと思う。そのくらいすばらしい教え。
旅になかなか出られない人も、心の旅に出ることができます。
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