先日、友人からこんな話を聞きました。
「この人、前からこんなこと言う人だったっけ? と思うようなことをSNSに投稿している人がいて・・・」という話。よくある話です。
生きた年数が多くなれば、そう思う機会も増えます。
「前から」の年数が増えていくのでね。「前から」が20年前だったりします。(ぎゃー)
そりゃあ、考えが変わるような出来事のひとつやふたつ、あるものでしょう。
少し前に読んだ本の中に、そうそう、そうなるのよねと思う記述を見つけました。
『亜宗教』という本の終章「陰謀論か無神論か? 宗教と亜宗教のゆくえ」の注釈にこんなふうにまとめられていました。
文化的に欧米社会に追随してきた日本であるが、こちらは宗教的文脈が異なるので、欧米のように宗教的保守(福音派)が右でニューエイジが左という対立構造にはならず、神道ナショナリズムの文化意識とニューエイジ的「精神世界」ないし「スピリチュアル」とは合同しやすい環境になっている。つまりどのみち右寄りになりやすい。欧米においてキリスト教的伝統を批判して東洋宗教を称揚しているニューエイジは左寄りになるのに対して、東洋宗教の時代の到来というご託宣をありがたく奉戴した日本的ニューエイジは自ずから右っぽくなるわけだ。
そもそもキリスト教的伝統に鬱陶しさを感じる必要性のなかった東洋人が、「東洋宗教の時代の到来」という発言をすること自体、ちょっとねじれてる。
デフォルトがないからそうなるだけの話です。
もともとあるものを、ことさら「ありがたがる」行為をしたくなることって、郷愁みたいなものじゃないでしょうか。
なので精神的なものでいったら、「なんかモンキーマインドだったなー、わたし」みたいな気持ちが結果的に右に寄った感じになるのは、多くの人にあるものだと思います。