ずっと読んでみたかったお話の日本語版が出版されているのを発見し、毎日一話ずつ読んでいます。
日本語版が出ることを知らなかったので、いつか自分でちまちま辞書を引きながら読まなければ、ずっとその教えに触れることはできないだろうと思っていました。
読み始めてみたら設定が意外で、聖賢が神と対等に話しているところから引き込まれます。
わたしが哲学を習ったクラスでは先生がたまにこのテキストを引き合いに出すことがあって、「この教えはヨーガ・ヴァシスタの○章、バガヴァッド・ギーターでは○章○節でも示されています」というふうに話されていました。そんな背景もあって、ずっと読みたかったのでした。
昨年の夏に受けた授業のノートを開いてみると、ヨーガ・ヴァーシシュタでも説かれていると話されていた題材に以下のことがありました。
授業は英語だったのですが、このようなことでした。
innate need (生来の必要性)が満たされなければ、revalation(啓示)にならない
別の言い方をされていたフレーズを日本語化すると「啓示は願望が実現されない限り起きない」「やる気だけなら多くのテキストやラップトップ(パソコン)でビルドアップできるけれど」「願望が実現されなければ役に立たない」と話されていました。ラップトップでビルドアップのくだりでガーンときたので、ものすごくよく覚えています。
ヨーガの哲学は、すっかり忘れていた頃にハッとするという理解の起こりかたが、わたしの場合は多いです。
それこそラップトップでビルドアップを続けた虚無を経て、鮮やかな変化を期待せずに日常の行為になじませていくまでの「あきらめ」が起こるまでに何年も費やしました。
なので、この本にはなんだか期待をしてしまうのです。(期待するんかい、って、するのです。ここは)学びが起こるかは自分の中身次第という前提で期待する。
一日一話で、ちょうど一年。今年も一筋縄ではいかない生活が続くなか、ありがたいタイミングで手にすることができました。