うちこのヨガ日記

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インドゥの息子の物語(ヨーガ・ヴァーシシュタ第3章にある寓話)

昨年出版された日本語版の『ヨーガ・ヴァーシシュタ』を今年も引き続き読んでいて、第3章はおもしろストーリーがてんこ盛りなので、各寓話にある要素をちょこっと紹介しています。

前々回は「リーラーの物語」、前回は「カールカティーの物語」について書きました。今回はその次に収められている「インドゥの息子物語」です。

 

この物語は、先の二つに比べると一瞬で終わるくらい短いお話です。

つなぎみたいな感じというか、語り手が増えます。ビッグな語り手の登場物語。

その語り手はみなさんが必ずやご存知の、いや、生類なら全員知ってるんじゃないかってくらい有名な存在です。

その名も、じゃじゃーん。

 

 

 

  太陽

 

 

 

えええー。という感じなのですが、第3章でヴァシシュタ仙がブラフマー神と語ったことを話す途中で、ブラフマー神が「わたしは太陽と語ったのだが」という話をはじめます。

ブラフマー神は創造主で、太陽はブラフマー神から生み出されています。そもそも、第3章のタイトルも「創造についての教え」です。

この状態をものすごく雑に要約すると

 

 

 

  創始者社長と、一都市を統括するカリスマ本部長 

 

 

 

の対話のような関係性です。

え? 天照大御神クラスの存在でも本部長なの? 日本じゃ社長クラスだよ? と思われるかたは、まだちょっとインドの物語に出てくる創造主とか創造神がピンときてないのだと思います。大丈夫。わたしもピンときてません。

 

 

インドの物語はとにかく壮大です。

太陽系はいくつもあります。そのなかの一つの太陽とブラフマー神が話をします。

あるひとつの太陽が、ブラフマー神に「聖者インドゥとその妻」の話をします。

その夫婦は子宝に恵まれなかったのですが、シヴァ神に願いを叶えられて10人の息子を得たそうなんですね。

その息子の一人が自分(太陽)で、そして兄弟みんながそれぞれ、創造者(太陽)になったと話します。

 

 

そこで、ブラフマー神がおもしろいことを言います。

 太陽よ。このように宇宙が十人の創造者によって創造されたのなら、私は何をすればいいのだろうか?

78より)

「完全にもう会社は回ってるよね。そして君のところは全社の売り上げの柱になっているわけだけど・・・。で、俺、何すればいいんだっけ?」と言いだす社長みたいな感じです。

 

 

いやいやいや社長、あなたが質問してきたから答えたのに、さらに質問て!

と、心のなかでは思ったかもしれませんが、そこはさすがのカリスマ統括本部長です。

このように答えます。

 主よ。あなたには願望も動機もありません。ですから、まったく何もする必要はないのです。宇宙を創造することにどんな益があなたにあるというのでしょう? 宇宙創造など、あなたにとっては単なる娯楽でしかないのです。

もう、ただ、居てくれればいいんですよと。

完全にブラフマー神は「会長状態」であると。

 

 

そういう展開です。

ほんと? と思われるかもしれませんが、そう見えるし聞こえる。

次の物語の冒頭で、太陽はこのように言います。

 主よ。世界の創造者は心だけです。ただ心だけが至高の個人なのです。心によって為されたことだけが行為であり、身体によって為されたことは行為ではありません。

79より)

社長は作業ではなく、仕事をしてくれはったのや。社長のはじめの心意気が、いまの仕事を作ってくれはったんや。だから後進のものたちも仕事ができるんや!

みたいなことを言ってくれる。

 

 

くうううぅ〜〜〜。

・・・泣ける。

どうですか社長。涙なしでは読めませんね。

みなさんがどう読み取るかはわかりませんが、わたしはこのように読み取りました。

『ヨーガ・ヴァーシシュタ』は、自己存在への疑念の百貨店みたいな感じなのですが、なんと創造神まで疑念を吐露しちゃうの。想像の斜め上を行き過ぎです。

真上じゃなくて斜め上だから、どれもおもしろいんですよね・・・。

 

 

しかも、次の物語のあとで、このカリスマ統括本部長の考えていることがさらに明確になります。この物語の時点では、社長にまだ忖度しています。

そう、これはまだ伏線。このあと、社長が統括本部長にガツンと言われちゃうの。えええ〜気になるぅ〜。

つい忘れがちですが、このかたたちは偉大な創造神と創造者です。

 

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