イプセンの戯曲を読みました。過去に「人形の家」と「幽霊」を読んだことがあります。
この「人民の敵」は、文庫本だと「民衆の敵」というタイトルで出ています。わたしは全集に収録されているものを読みました。
きっかけは映画でした。
霊験あらたかな聖なる水の効果を求め多くの人々が集まるインド寺院を題材にしたもので、この原作がイプセンとあり、気になって読みました。
原作版の「人民の敵」は、温泉の効能を求めて人が集まるようになった地域が舞台です。財源として、仕事を得る場として市民が完全にそこに寄りかかるようになっている町の話でした。
いずれも、その水質に人間の健康を害す問題があることが水質調査で発覚し、「そんなわけない!」と思いたい人民が、それを発見した医師を敵認定して団結していきます。
インドを舞台にした映画は、共同幻想としての聖水の虚構を辛辣に描いていて、寺院の主がその水の入った瓶にトゥルシーの葉を浮かべて、「この水なら害は検出されないはずだ」と真面目な顔で訴えに来ます。
トゥルシーの葉が浄化するからという発想は、いかにもインドならではです。
▼この映画はYoutubeにありました
Ganashatru (1990年)
サタジット・レイ監督はイプセンの物語をみごとにインド版に作り変えていました。
「善性しぐさ」で団結していく民衆
人生には知らないほうがいいことがたくさんあります。
問題そのものを議論することを避けるセンスが人間にはあって、イプセンの戯曲はその “避けるセンス” がセリフで見事に展開されています。
<共同幻想と既得権益 V.S. 真実> の双方の意見に日和る新聞社の面々の様子も描かれ、どの国でもその時代によって発生する事象と重ねて読むことができます。
「水」で言ったら、東京では築地移転問題や五輪開催地の水を想起します。
健康にまつわるあらゆる陰謀論とも好相性な題材です。
この戯曲を読んでいると、「みんなのため」の「みんな」の捉えどころのなさと、「善性しぐさ」の気持ち悪さの両輪で物語が転がっていき、真実を引っ込めないことには変化を恐れる不安を止められない感じがリアルです。
また医師側は医師側で、賢くなりましょうと言いたいのに、うっかり民衆を「無能」「未熟」と表現してしまい、ドツボにはまり、ここでキャンセルカルチャーが発動します。
原作の医師は真実を語る絵に描いたような聖人でなく、たまに漏れ出る口の悪さが人間らしい毒を含んでいて、戯曲ならではの全体性があります。