うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

キューポラのある街(映画)

昨年のオリンピックをきっかけに、初回(1964年)との時代背景の違いについて考えることが増えています。
この映画はオリンピックの2年前の映画で、よくこれだけの情報を100分に盛り込んだなと思うくらい、当時の庶民の生活を知ることができる映画でした。
舞台は埼玉県川口市。道をオートリキシャーが走っています*1
そして劇中で「スーダラ節」が聴こえて*2、ええっ?!と一瞬混乱しました。こんなに昔の歌なの?!
思わず時代の前後関係を調べてしまいました。


わたしが混乱した理由は、晩年の植木等さんの声のせいです。おじいさんになってもずっと若い頃と同じ声だったんですね。笠智衆現象(おじいさんが昔からおじいさんで混乱する)の逆バージョンが、音声で起こりました。
ちなみに初代水戸黄門東野英治郎さんが昔はアル中のDV親父役をやっていた件については、小津映画で少し免疫がついていたので驚きませんでした。
今となっては、「酒に逃げる昭和の父親」の所作や喋り方のテンプレートって、この人が作ったんじゃないの? と思うくらいです。

 

 

それより本題ですよ本題!!!
この映画は “昔からどっちもあった” という状況がよく描かれています。

  • 朝鮮人への差別もあったし、友情もあった
  • 貧富の差もあったし、助け合いもあった
  • 職人にとって不当な労働環境もあったし、解決に向けた組織づくりもあった
  • 少女が主張もしたし、危険な目にも遭った


これらのひとつひとつが具体的に描かれています。
セーラー服やトレパンを買える子と買えない子がいたり、修学旅行を諦める子がいたり。小学生も中学生も働きまくっています。
救いと希望の綱は「勉強」。勉強をすれば這い上がれると先生も生徒も信じています。
そして進学ができないとなれば、学歴よりも教養が大切と捉えなおし、定時制高校や通信教育でも学び続けることが新しい生き方として提示されています。

いまのように学力と稼ぐ力の中間にバリエーションが増えた時代の感覚で見れば、この映画の世界の考え方はキレイゴト。でも葛藤は「親ガチャ」という言葉が生み出される現代となんら変わらない。この映画自体がそもそも「親ガチャ」の話です。

 

この状況で「東京オリンピック」が開催されれば、そりゃあ日本全体がブチ上がったわけです。そのくらい、直前の状況が絶望的です。
時代に取り残されて酒とギャンブルに溺れていく父親に対して、「父ちゃんは戦争が来ればいいと思ってるんでしょ」と本当のことを言ってしまう場面がズシリときました。
坂口安吾の小説を読むと、この父親と同じように心のうちで空襲によってリセットされる格差にほくそ笑む人物が出てきます。この映画はあの小説の時代から10年くらい後の埼玉が舞台です。

 


時代の用語も、映画を観ながら検索しないとついていけませんでした。
北朝鮮は「ホクセン」。「ホクセンへ帰れるんだ、よかったね」なんて会話をしていて、上野から新潟へ行ってそこから帰るんだと話しています。
ニコヨン(日雇労働者)などは、2回目にやっと聞き取れて検索しました。

 

 

冒頭に書いたリキシャーの件もそうですが、インド旅行中に母が「昔の東京みたい」と懐かしそうに言うのが、この映画を観たらよくわかりました。
この映画はある本を読んだことをきっかけに観たのですが、ちょうどその本を読んでいたときに「昔は上野駅へ行くと自分の故郷の方言を耳にすることができるので、それを聞きに上野駅へ行った人がいた。同じ故郷の人に会うのではなく、ただ耳に入ってくる方言を聞いて、それを励みにしている地方出身者がいた」という話を、これまた母から聞きました。


たった60年で、こんなに世の中が変わったんですよね。
吉永小百合さんと同世代の70歳以上の人がネットを使いこなしているのを見ると、適応していることのすごさを思い知らされます。

 

*1:職場見学の帰りのシーン

*2:パチンコ屋のシーンと終盤の子供のつらいシーン