うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

新・堕落論 ―我欲と天罰― 石原慎太郎 著

徳富蘇峰の『将来の日本』を読んで、その感想に「石原慎太郎よりも徳富蘇峰のほうが昔の人物だなんて」と書きながら、印象だけで勝手なことを言っているなぁ自分・・・と思い、石原慎太郎さんの本を読みました。


十数年前に、当時の職場の同僚がボソッと「あたし、石原慎太郎のいうこと、好きなんだよね」とつぶやいたことがあって、「わかるよ」と話しながら掘ってみたら好きのポイントがお互い全然違っていた、という出来事も思い出したりして。


この本は2章構成で、それぞれ文藝春秋に掲載された以下のテキストに大幅に加筆・改稿し、新潮新書として出版されています。


震災時に叩かれた天罰発言の4ヶ月後の、2011年7月に出版されています。
2012年頃までこのブログ(当時は「はてなダイアリー」)はコメント欄をすべての人に公開していて、わたしはほぼすべてのコメントに返信をしていました。
いちばんコメントが多かったのが、その天罰発言に少し触れたこの日記でした。

 

わたしが「この “under control” をうまく言えなかったのが、石原慎太郎さん。」と書いた点について、コメントが複数書き込まれました。

 

 

そんな頃に発売された本を、いま読みました。
漠然と「自身の考えをハッキリと言う、作家出身の年長者」と思っていた人物について、そのエネルギー源、考え方の背景、現代では嫌われやすい話の組み立て方など、いろいろなことがあらためてわかって、長く生きるというのは大変なことだと思いました。
ひとことで言うと、とっても男性的。若くして時代のトレンドを作り(太陽族)、さらに『「NO」と言える日本』をヒットさせた作家として、ご自身の感度を圧倒的に信じてる。昭和と平成をねっちり生きてきた大人らしい毒があります。

このまま日本の衰弱がつづけば、アメリカの自国の利益を計る天秤の上での日本と中国の比重は自ずと違ってくるのは自明のことです。現に日本に関するワシントンの流行言葉はかつての日本バッシングから、パッシング、そして今ではディッシング(無視)と変わってきている。旦那はどうやらこの日本という妾に飽きて、新しい浮気の相手を探し出している。
(一章 平和の毒/ジャパン・ディッシング より)

オヤジギャグっぽい韻を踏んだ後に、旦那はどうやら〜 の一文を追加せずにいられないこの感じは、わたしの世代の感覚だと講釈したがりの近所のおじさんの話を聞いているような懐かしみがある。

 


この第一章を読みながら、少し前に読んだワコール創始者・塚本幸一さんの自伝を思い出しました。塚本さんと同じように、石原慎太郎さんも戦後にアメリカ人にしなだれかかっている日本女性を見て失望する経験をされています。
そして、そのあとの行動・発言は大いに違っている。年長者の考えを戦争経験や時代でくくることはできないもの。

 


都知事時代の話しかたを見る限りではそこまでマッチョな人と思っていなかったけれど、石原慎太郎さんは好戦的という点で主張が一貫しています。たぶんここが、現代人には嫌われるのだと思うのですが、歴史を振り返る面でその好戦的なスタンスは全方位へ向けられ、慰めや共同幻想に対して厳しい目で現実を見ます。

 敗戦の後、我々日本人は一体強い緊張感を体験したことがあったでしょうか。日本で初めてのオリンピックだの、万博だの、お祭り騒ぎでなんとか期待がかなえられたことでの満足はあったが、そのための過程での努力は緊張というには及ばぬものでしかなかったと思います。日本の経済復興は、隣の国韓国での突然の戦争を踏み台にしたものでしかなかった。(中略)
 この国は戦に破れた後は、いわば、ついていたともいえます。もちろん日本人の民族として優れた資質もあったが、それを意識する前に我々は、国家の総体的な有様についての満足を、アメリカ様の統治のおかげと受け止める奇妙な習慣に染まってしまったのです。
(一章 平和の毒/権利の主唱、欲望の肥大 より)

国防について、一貫して「センチメンタルすぎる」という見かたをされています。

 


全体的に問題発言のオンパレードな本ですが、先にも書いた通り、わたしの世代はこの感じが平常運用な環境で育ってきました。
そこのスイッチを切る機能(=問題発言を毒舌で済ます)が、もう30年くらい前からインストール済み。昨今の社会の変化にあわせてアンインストールを何度もしているのだけど、なぜかなくならないプラグインが消しても消しても残っている。
状況としては、麻生太郎さんの発言にいちいち何も思わないのと似ている。

 

今回この本を読んでわかったことは、石原慎太郎さんは、江戸時代の日本人の力をベースに戦後の日本人の変化を憂いているということ。(それで大江戸線だった?)
この感覚って、メイク・アメリカ・グレート・アゲインと言ったトランプ元大統領と似ていて、なんかわかりやすいんですよね。
古風なのに好戦的というバランスは、わたしが見てきた大人たちのリーダーとしてとても日本人らしく感じるけれど、その価値観が変わるほど、やさしいリーダーが求められる時代に変わってきている。
個人の考えを知りたくて読んだ本でしたが、ここ数年の考えをあらためて見直すきっかけになりました。