うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

グーグーだって猫である1 大島弓子 著(コミック/映画)

少し上の世代の人たちが読んできた本としてよく名前を目にする、大島弓子さんの本をはじめて読みました。古本屋さんで一巻を買ってきました。

コロナの少し前からわたしの周りでは猫を飼う人が増えていて、なんとなく息抜きに読んでみたくなりました。

グーグーという猫の前に、サバという先代の猫がいて(故サバ)、二匹目のグーグーだって同じく飼い猫なんだという意味の「だって」であることを、読んでから知りました。

 

 

本筋も面白かったのですが、わたしはところどころの比喩などにちょこっと登場する名前が気になって、いちいち調べてしまいました。

まさにネット時代の読み方という感じですが、そこから「シークレット・ライフ」という本を書いたライアル・ワトソンという人や、ヒーラーのタカツカヒカルという人を初めて知りました。この時代のスピリチュアル・ブームの空気がぐわっと感じられます。

 

この本は1996年の作品で、わたしの中で記憶がすこんと抜け落ちている時期です。就職をして社会の仕組みがよくわからないことだらけで、現実を生きていくのに精一杯。神秘どころじゃなかった。

その頃に大人たちの間で流行っていたバブリーな神秘ネタが付帯情報として入ってきて、昔のOLさん向けの雑誌を読んでいるような気分。

「今までの生活が間違いだらけだったと思うことと懺悔の気持ち」が猫を媒介に描かれるところが響きました。40代ってそういう年代なんだと思う。

 

 

 

映画も観ました

映画は2008年の作品ですが、この頃は「ほっこり」な方面に時間を割けるくらい景気がよかったんだな~と思いました。当時はそう思っていなかったけれど、いま作られる映画の凝りかたとはちょっと違うエネルギーが注がれている感じがします。

サブカルおしゃれ映画でちょっとスピリチュアルで、ふわふわとして必要以外の場面にも時間が割かれてる。テレビっぽい感じ。

昨年、2010年の映画『食べて、祈って、恋をして』を観たときにも思ったのだけど、こういう映画がリアルタイムで公開されていた頃、わたしはこの感じのスピリチュアルを避けていたんですよね・・・。

そっち側では生きていかないつもりだ、みたいな気持ちが強くて。あれはどういう感情だったのだろう。