1956年の映画で白黒です。二つのよくある問題が綱のように太く編んであり、どうにもうまいことひとつの物語にするもんですね。みんなふつうの人なのに、名言がいくつもありました。
恋愛沙汰にフォーカスすれば下世話だし、倦怠期の夫婦の状態に視点を移せばあるあるだし、労働をテーマにしてみれば彼らの言いたいことは社畜か自営業かで揺れるよねという話。ぜんぶがうまく絡み合っている。
家に電話がない生活では夫が急に早く帰って来たり来なかったりして、ご飯を用意する側の妻はイライラするし、将来の夢のなさをひとりでモヤモヤ抱える夫もストレスが溜まる。
まるで砂糖に群がる蟻のように朝の蒲田駅へ向かうサラリーマンは軍隊のようで、満員電車から東京駅で放たれ、各社へ散っていく。毎日降りる人数が34万人で仙台と同じくらいの人口だとサラリーマン同士の会話で説明されます。
当時のワークスタイルが想像できるのも興味深く、職場は違っても通勤仲間と食事やピクニックをしていて、個人が自由に繋がっています。この垣根のなさは新鮮!
個人情報なんて概念もなく、人々は自宅へ「こんちは」と行き来する。なんなら浮気相手も家に来る。休日の服装はちょっとアメリカンで、なんのかんのと影響を受けまくっている様子がファッションや生活用品から伝わってきます。
妻の友人で、目白で一人暮らしをする出版社勤務の未亡人女性が「間に合うってことは つまらないことね」というセリフも、若い世代が貧しくなったいま観ると妙に刺さります。
この女性は現代にそのままワープしても生きていけそうなくらい、自分に向き合って独立し、達観しています。『秋日和』にも百合子という自分なりの葛藤を経たキュートな女性が出てきたけれど、この映画に登場する目白の友人もすごくいい。
この映画は、いま観ると考える材料がたくさんあります。
大学を出ても就職が簡単ではなかったり、企業に就職できても転勤があったり、満員電車が地獄だったり給料が上がらなかったり、さらには転勤を断る権利の話も出てきます。
この映画で描かれるサラリーマン生活の不気味さは、2020年のパンデミックによってほんの少しでも崩されか。わたしは先週久しぶりに通勤をしたばかりだったので、複雑な気持ちになりました。
中央区も港区も東京はもうすっかり以前の感じに戻っています。この映画の時代に築かれた労働スタイルはなかなか揺るがない。
そしていまは、精神面で窮屈なまま、さらに人々がリアルにコミュニケーションをしなくなっています。個々を守るためにどんどん疎遠になっていく。この映画に登場するサラリーマンたちはいまの感覚で見ると学生みたいに幼稚に見えるけど、不安をそれぞれが口にして励ましあってもいます。そこに不自然な見栄はありません。
「ヒューマニズムとは窮屈なもの」
これはひとりの通勤仲間の言葉です。ヒューマニズムを "多様性" に言い換えれば、いまの社会とばっちり重なる。
あとね、あとね。これはどうしても書きたいと思うことがあって…。
それは
この映画のMVPは浦邊粂子さん!
ということ。
わたしは浦邊さんを鶴ちゃん(←いまヨーギーの人)のモノマネで知った世代なので、こういう役者さんだったことを、そもそも知りません。『東京暮色』の時よりも出番が多く重要な役で、仕草も挙動も喋り方も最高!(『東京暮色』では冒頭で登場しています)
服装もステキです。いかにもおばあちゃん風のワンピースと着物の両方があって、どっちもキュート! ずっと見ていたいかわいらしさです。
なのに、
「女は三界に家なしだからね」
「苦労のカタマリだよ」
「古くたって同じ人間だよ」
と名言てんこ盛りで、「ごはんだよ。ごはんごはん」とか、いちいち真似したくなる。語尾がいい。「だよ」がいい。「よ」だけのもいい。とにかくいい。
理想のおばあちゃんだけど、苦労しすぎ……。
『東京暮色』で知った言葉 "ズベ公" のニュアンスも、この映画を見ることでより理解できた気がします。そのズベ公は黙っていれば、とっても清楚。岸恵子さんが演じています。
その彼女が狂っていく様子と声のエレクトリックな響きがとにかく怖くて、場違いな服装をするあたりも含めて、若い女性の不安定さが手に取るように伝わってきます。
よく小さい子が泣くことをギャン泣きというけれど、この映画の彼女はキャン吠えという感じで、とにかく怒った時の声が狂ってる。
ほかにも、死にかけている息子に嫁をとろうとプレッシャーをかける母親がいたり、ひとりで電気を消すことで怒りや悲しみを噛みしめる妻がいたり、登場人物たちが感じている役割にアイデアがなさすぎて、いろいろ窮屈でせつない。
ひとつ、字幕付きで観てネットで検索してもわからない方言がありました。岡山出身の友人に聞たらすぐにわかったようで、「コーマイ町」は「小さな町」という意味だそう。
『東京物語』には尾道弁が出てきたけれど、この映画では少し岡山弁が出てきます。そもそも昔すぎてわからない言葉に混じって方言もあって、小津映画を観終わった後には、よく検索をします。
明るくてポップな小津映画も楽しくていいけど、わたしはこの『早春』や『東京暮色』のような、人間の弱さや日常の窮屈さが描かれたものも好きです。