タイトルを見て「なにもそんなに前のめりで準備しなくても・・・」と思われるかもしれませんが、きっかけがあって読みました。
先日同世代の友人と話しながら、なんでも更年期のせいにすると、それとは関係のない前頭葉のはたらきを見落としてしまうことになりそうで、それも避けながらうまくやっていきたいのよね、という話になりました。
ホルモンバランスによる影響と同時進行で起こる、社会の変化の影響がある。それらを切り分ける会話を友人とすると、頭がほぐれます。
おしゃれなもの・カワイイものの話をして心をほぐして、直近の失敗とそのときのマインドを振り返って頭をほぐす。
これらの会話が同じくらいあると、エネルギーがチャージされる。ここ数年で、特にこういう感じに変わってきています。
で、この本です。
自衛隊は定年が早く、平均で55歳なのだそうです。序盤にあった話を読みながら、小津監督の映画『お早よう』を思い出しました。
昔はサラリーマンの定年が55歳で、東野英治郎さん(初代水戸黄門の俳優)が演じる隣の家のおじさんが「こんな状態で放り出されるなんて」と嘆きながら転職活動をしています。1959年の映画です。
わたしは『お早よう』を観たときに、さらに時代が進んで一周してこの時代の人と近い心の課題に向かうイメージがわきました。
『お早よう』の東野英治郎さんは、泥酔して近所の笠智衆さんの家に帰って三宅邦子さんにやんわりといなされて目を覚ますのですが、現代はそんなに牧歌的ではありません。
それはそれとして『お早よう』は最高におもしろいので、ぜひ観ましょう。
で、いつ本の話に入れるのか。今からです。
この本の前半は、わたしがあまり好きではないワード(「老害」「迷惑老人」「残念なシニア」など)で現実を煽ってきます。
新書(薄い縦長の本)は短い文字数でインパクトを残そうとする傾向があるので、どうしてもこういう表現をよく目にすることになります。
前半はそうだったのですが、後半で展開される内容は、まさに冒頭に書いた、友人と毎月のように「これって怒り? 焦り?」「たぶん、いまはもう捉えかたを変えなきゃいけないんだと思う」などと言いながら確認している判断について掘り下げられていました。
私たちは、どうしても「表に出てきている問題」にとらわれがちです。そして、その「表の問題」を直接、修正しようとします。
人間関係の悩みなら、具体的な対応法や考え方の工夫を、職場復帰の問題なら、その日に向けた準備を、怒りのコントロールができないときには、呼吸法で鎮めようとする。ただ、どんな場面であっても、自信や、価値観が適切であれば、表面的な問題が「問題ではなくなる」ことが多い。目には見えないけれど、とても大切なのが、価値観です。
(価値観をほぐせば、自信が揺らがなくなる より)
通常、我慢をするときには「こういう理由だから、怒っちゃいけない」というふうに、感情に対して論理で「言い聞かせ」をします。
ところが、年齢による記憶力の自然な低下により、次第に、その「言い聞かせ」を忘れてしまうようになってしまいます。感情を抑える理由になっていた論理を、忘れてしまうのです。
(疲れたり、歳をとると「我慢も限界」になりやすい より)
そう。わたしが友人と行っているのは、まさに「言い聞かせ」の練習。
そして、どうしてそれが必要であるかを話すなかで、価値観の再確認をしています。
観た映画や読んだ本の話をしているのは、そのときはただの雑談でも、数年後に効いてきたりする。感情を価値観の棚に分類する作業をしている。
わたしの場合は友人にヨガをしている人もいるので、「言い聞かせ」のところは、これがブッディというやつなんだろうけど・・・、というような話をします。
この本を読んでどうこうしようと思うというよりも、年々変わってくる「求める会話」の性質についてヒントをもらえたような、そんな気がする本でした。