うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

圧迫面接構成の会話が起こるときのこと

先日、小説の感想を読んだ友人がメールをくれて、久しぶりに話そうということになって話しました。

この友人との会議(雑談を超え始めている)は、わたしのある経験と読書がきっかけでした。


わたしは今年、ひとつ不思議な体験をしていています。少し時間をおいて頭を整理して、やっと人に話せるようになりました。まるで映画の中にいるような状況で、言葉づかいの丁寧な圧迫面接を受けました。あれはなんだったのか…コントか?! と消化するのに何日もかかった出来事。そのとき自分を冷静にさせてくれたのが、先のリンクにある小説についての知識でした。


わたしのいう「言葉づかいのとても丁寧な圧迫面接」は、以下の(A→Dの)ステップで組み立てられたものでした。
それは、合致しないことがあらかじめわかっていた要件について確認する会話のなかで起こりました。

 

 A:もともとそこは問題ではないと自分では認識している
 B:でも、さも問題(自分の過失や配慮漏れ)のように相手にほのめかされる
 C:言われる筋合いはないよなぁと思いながら様子を見る
 D:相手が、ところでそこはどう埋め合わせるの? やるのやらないの? みたいに言ってくる
 E:やらなくていいと思っていたのに、やろうとする前提で返事を考えたり、返事をしようとする

 


上記の、A,C,Eがわたしの立場・思考です。Eのタイミングで自分がおかしいと思うか思わないかは、コンディション次第であったように思います。
わたしは周囲からしっかりした人のように扱われることがありますが、そんなことはありません。注意力を失うこともあります。
上記のEはいわゆる「高額な壺の購入をコミットする瞬間」のマインドでもあると思うのですが、状況によってはコミットすることもあると思うのです。

 


 ほかに行き場がないと思ったら、従おうとするかも

 


わたしは「圧迫面接」と書きました。上記の場面は今年の冬の転職活動中のことです。
予定よりも活動が長引きそうな気配があって、次の仕事を始める前に予定していた旅行の航空便がキャンセルされ、なんだか不穏な空気を感じていました。
今となっては当然と思えますが(旅行で行こうとしていたのが中国なので)、すんなりいかないことが重なり漠然と追い込まれていました。あのとき面接の場で少し冷静でいられたのは、たまたま前々日に別の会社からよい返事が届いていたから。それがなかったら精神的に2ストライク3ボールみたいな状態になっていたかもしれない。

 


 ほかに選択肢がないと思ってしまう瞬間のこと

 


こういう精神状態への耐性って、ときどき確認しておかないと日本語話者世界での対応能力が下がる気がします。
日本語話者世界と書いたのは、わたしは「できないこともない」みたいなやり取りでギブアップしやすいから。こういう心理的な調整を避けるために重いものを引き受けてしまって、「自分が消えたらやらなくてよくなる…」という極端な思考に至る、そういうプロセスをもう踏みたくないと思っています。


どうですか。なかなかしんどい話ではないですか。わたしはとてもしんどかったです。なのでこの面接のやり取りを分解して話せるようになるまで、状況整理に日数が必要でした。仲介者が怠惰なだけの話といえば、まあそうです。でも仲介者がやや洗脳されていて、自分がしっかりするしかなかった。

 


友人はこんなコメントをくれました。「あの本のうちこちゃんの感想を読んで、わたしはやっぱり圧迫面接というものを感覚としてわかってなかった(知らない)んだなと思った。たまたま運が良かったのかもしれないし、業種・職種的にそうなのかもしれない」と。
一瞬「ほんと?」と思いました。違う職種の道を歩んできたとはいえ、あの感覚がまったくないなんてことがあるだろうかと思いました。代わりは他にもいるという選別がデフォルトの場面では、こういう会話自体がそもそも日常にある。学校生活でもバイトでも恋愛の関係性でも、親戚親子のような関係でも、感覚として記憶があるからそれが蓄積してデータになって、自分の分析が成り立っていると思っていました。


この自分の感覚を一度信じて考えながら、あることを思い出しました。それは、その友人とその近くにいた人(Aさん)の関係性です。確認のために訊ねてみました。

 


 あなたとAさんのあの話は
 わたしが受けた圧迫面接の会話プロセスに
 当てはまっているようにも見えるのだけど…

 


・・・。
・・・。
・・・。・・・。
ひやぁっ。(息を吸いながらの叫び)

 


「もともとそこは問題ではないと自分では認識している」という状況をひっくり返されていることに無自覚になってしまう関係性って、けっこう起こりがちだと思うのです。逆の立場でも感じます。ゴリ押しする気はないのにゴリ押しさせられている展開というとちょっとヘンですが、「そこを強くプッシュしてくれたら」みたいなリクエスト的な圧(というか、引きの圧)を感じることもある。
こういうのって、販売員さんとかよくわかるんじゃないかな…。無理に買い替えなくてもいいのに、いま買い替えないことに損失があるかのようにもっていく話法とか、あると思うから。グルが弟子を生むのか弟子がグルを創り出すのか。わたしはこういう観察をよくやります。これは人間の心の化学反応。


世の中の価値観が揺れているときや不景気になると、ますますそれは起こりやすくなるんじゃないかと思います。
今日はわたしの具体的な経験を書きましたが、行き場がないという感覚やその種の空虚感についてまで客観視できるようになると、少しずつ心が安定します。内観のトレーニングをやめなければ大丈夫。今回のことで少しだけ、そう思える強度が増した気がしています。