このブログで本について書いたエントリーの数が来年早々に1800になりそうです。
日常的に本を読んで感想を公開していると、たまに練習の前後に「○○○○○、読みましたよ」と聞いただけでもう心が通じ合ったと感じる、そういう「いま読んだらホットだった」を共有できる流れがあって、インターネットの原型ばんざい、な瞬間です。
わたしはこのブログで「いまを生きる、こういう経緯・背景を経たわたしに、この本の内容がこのように響きました」という気持ちを書いています。
なので「○○○○○、読みましたよ!」といわれる時の、「ましたよ!」のトーンだけで、その声のサウンドだけでうれしい。
話したのはほんの数秒。1分未満。でも充分、心の中でハイタッチしたくなった。
そんな本のエピソードがいくつかあるなか、強く記憶している本が3冊ありました。
流れる 幸田文 著
ポリコレ社会にアジャストしたスタンスで空気を読むとか発言するとか、そういうことでみんな日々ストレスを感じているのだと思うけど、この物語を共有したあとだと「梨花のあのときの、あの心意気でね」となります。
人生の選択肢によって分かれる「これって、マウンティングされてるの? 詮索されてるの? 距離をおかれてるの?」と思うときのマインドのあれこれを、この物語は居場所を失わない人の視点と判断で語られているので教本になります。
複雑だけどすてきなおばさん、というロールモデルを見つけることができます。
女性のこころをつかむマーケティング
マーケティングの本なのだけど、そもそも女性は脳のはたらきの調査対象から除外されてきたという前提があって、そこから男女の脳の話が展開されています。
マーケティングの手法はまだSNSが普及する前の本なので古いのですが、それ以前のところに読みどころが多く、ヨガクラスの帰りの着替え中に「あのマーケティングの本、おもしろかったです!」と言われただけで、「読んでくれたのおぉぉぉぉっ!」とうれしくなりました。
一緒に身体を動かす人と精神的・社会的な視点を共有できるのは、わたしにとって、すごくうれしいことです。
犬 中勘助 著
先日関西で「犬 、読みましたよ」と言われました。
おお、そういえば半年に『犬』の話をしましたね、と思い出しました。
インドで身体を使った苦行の技法があんなにも開発された背景には、女性の身体を持って生まれたわたしたちには到底想像で理解を補うことができないものが確実にある。あることがわかっている。
いままで読んだ書物のなかで、ハタ・ヨーガの古典を読んでギョッとした部分をそっと捕捉してくれたのが、わたしにとっては中勘助でした。
『銀の匙』との振れ幅がすごいのだけど、それはただ振れ幅ってだけ。作家ってすごいなと思います。
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さすがに1800回となると覚えてられない本ばかりですが、わたしは古い本をよく読むので、よけいに「いま、なんでかこの本の話をしているわたしたち」の感覚で盛り上がる。楽しいね。