うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

断れないのではなくて、疑いの思考の背景を説明できないという問題

リシケシにいると、とても明るくてやさしくてナチュラルでポジティブな詐欺師のような人に出会います。
とにかくどこを見ても寺院・神様・ヨガスクールがいっぱいで、アーユルヴェーダのマッサージもクッキング・スクールも増えているリシケシ。
この町はやれば健康になること、やれば楽しくなること、やればより "ホンモノ" に近づけそうなあんなことこんなことを四方八方から提案してくる。ただその流れの延長に「助けてほしい」というワードがくっついて別料金が発生するとなると、コトは単純じゃなくなります。「助ける」の落としどころを自分で決めなければならなくなります。

 

中国人はお金があるからカモにされ、日本人は断れないからカモにされるという微妙な色の違いはありつつも、中国人だって断れなくて払っている人は多くいるんじゃないかな。

断らなそうか・断りそうかを推測するのは提案する側で、彼らには経験で養った嗅覚があります。ヨガスクールが中国人グループをうまく誘致できているのも、中国の人たちのグワンシ(関係)のメカニズムをよく理解しているからじゃないか、そんな推測をしながら観察しました。

 


ガイドブックやトラベルQ&Aサイトを見ると「だまされないために最低限の英語力はつけておこう」と書いてあります。でもリシケシではどんなに英語力があっても以下の自己認識作業を乗り越えない限り、窮地に立たされます。

 


  わたしは他人を疑うような人間です

 


この自己認識を自分自身に対して表明すること。
スリランカでもインドネシアでもお布施や物品購入を求めてくる人はいたけれど、リシケシにいるインド人の手ごわいところは「あなたは他人を疑うようなマインドでいるのか、いま、ここで? この平穏な聖地で?」という文脈でくるところ。
先方は

 

 


  いま、わたしは聖地にいるピュアな人間☆

 

 


という聞き手の自己陶酔をくすぐりながら物語を構築してきます。
これがね、うまいんだ。ほれぼれするくらいに。ほかの攻め方のバリエーションも全部聞きたくなっちゃう。べつに欲しくない商品だけどジャパネット高田社長のトークだから今日は聞いちゃおっかな、電子辞書なんていらないんだけど。みたいな感じで聞きたくなる。ときどき、すごくおもしろい。
そんな話術に感心しつつ、それはそれ。聞き手はいつも以下のようなマインドで返答できる冷静さを持っておかなければいけません。

 


 そら残念! ヨゴレに汚れてますねん。わし
 生まれたときからエコノミック・アニマルやさかい
 そらぁもう、筋金入りでっせ。40年。40年て!


 それが10年やそこらヨガしたくらいで
 きれいになんか、なりますかいな~

 


わたしは雪国生まれの雪国育ち。じめじめじめ~っとお金を無心する話題に入る人を子どもの頃から見てきた。こんなに気候は違うのに、インドにいるとたまにあの感じを思い出す。だから脳内にこのくらいの強度の妄想関西人をインストールしてから話を聞く。そのくらいじゃないと、つい流されてしまう。
日本人は断れないのではなくて、これをできないのがさまざまなトラブルの原因ではないか。今回からそんなことを思うようになりました。自分の体質に気がついた。

 

リシケシという場所は、とてもこわい場所です。

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プロのカメラマンでもなんでもない街角スナップおばちゃんのわたしでも、こんな写真が撮れてしまう景色が広がっている。もう視覚だけで魔法がかかる。

 

 

 

 スピリチュアルは飲んでも飲まれるな

 

 

 

君はピュアだ、特別なエナジーを感じる、日本人はオーネストだ…などと言われても

 

 

 

 リリ? バト アイム エコノミク アーニマール
 ノー ピュア! ソ~リ~

 

 

 

くらいの英語は使える状態でありたい。実際は言えないのだけど。ノーノー。ノーピュア。バイバーイしか言えないのだけど。
わたしはよく中国人に間違われるので「ニイハオ!」という裏技も使う。でもそれはそれで、そのあとずっとタモリ麻雀を憑依させながら英語を話すことになって疲れる。あの口調で英語で話し続けられるのもせいぜい30秒。
NO! と強く言えたとしても、それは極端で排他的すぎる。せっかくだから少しはゲームに参加したい。だけど、楽しみの数だけ罠がある。
それでも旅慣れた人からは「リシケシはすごく治安がいい。バラナシへ行ったらこんなもんじゃない」と言われます。わたしはバラナシへはきっと行けない。