うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

知性の顚覆 日本人がバカになってしまう構造 橋本治 著

サブタイトルに "日本人が"、とあるけれど実際読むとアメリカのトランプ大統領誕生、イギリスのEU離脱についても語られており、だから日本は…というだけの本ではありません。
反知性とヤンキーを紐づけて話がはじまり、その後は都度都度こまめに「反知性」の別バージョンを提示。オウム真理教、トランプ、ISというふうに話を展開していきます。

不機嫌な人間は、「自分の考えを検討する」なんてことはしないで、「不機嫌エネルギーで自分の正しさを押し通す」という方向に進むのだと思う。
「反知性」が問題なら、それを生んでしまう社会の側と当人のメンタリティの両方とを考えるべきだろう。
(第二章 大学を考える/五 うっかりすると「反知性」になる より)

あの不機嫌エネルギーの源泉はどこにあるのか。「俺がまちがってるって言うのか!」「わたしがいけないって言うの!」という、あれ。


どういう社会で育つとそういうメンタルになるのか、著者はみずからの生い立ちを "1948年、東京生まれ。苦労してない。大学は東大を出た" というトーンで淡々と語ります。

 私には上昇志向はないが、だからと言ってそんなに善人でもない。中流あるいは中産階級特有の「いやな部分」をちゃんと持ち合わせている。それがなにかと言うと、「上昇なんか別に望まないが、沈下させられるのは絶対にいやだ」と思うその気持ちである。
(第三章 不機嫌な頭脳/ニ 根拠のない優越 より)

この自己内省を経て口を開く人かそうでない人かを、下の世代はじっと見ている。そうやってじっと見られる時点で不機嫌になる人から「年をとって思考する体力がなくなった」と言われて納得がいくとかというと、そんなことないよね昔からそうだったよねとわたしは思う。思考は体力のある頃からはじめておかなきゃ。


この著者によるさまざまな事象の見かたは、誰の代弁をしているのかよくわからない意味づけがなく、身近に起こることと同根であることを探るかのような視点で語られます。

 愚かというのは、イギリスの国民がEUから離脱することを選んだからではなくて、「離脱に賛成」の票を入れた後で、「ところでEUってなに?」といってしまう国民がいることで、自分がどういうシステムの上に乗っかっているのかを理解していない──そういう知識を持たない人間をそのままにして、彼等に判断を委ねてしまうということだ。
(第六章 「経済」という怪物/五 国民はバカかもしれないけれど より)

 私にしてみれば、アメリカの大統領がこの先どうなるかとか、アメリカの経済がこの先どうなるかなどということはどうでもいい。私が思うのは、「めんどくさいことを突きつけられ るのがいやだ」と思う人達が、アメリカの人口の四○%から五○%の間で存在することだ。
 私には、たとえ英語が出来ても、そういうアメリカ人を説得できる自信がない。「そんなことしたら、きっと射殺されちゃうんだろうな」とは思うけれど、少しは「めんどくさいこと」に向き合って考えてもらいたいとは思う。
(最終章 顚覆しちゃいましたね/六「ムカムカする」を抱えて生きる、たとえば「アメリカの人達」より)

「商売に差し障りがある」として、大圧力団体の全米ライフル協会が銃規制に反対しているけれども、「銃規制反対」の裾野を支えるのは、「不穏なものがどこに隠れているか分からないから、銃がないと危険だ」とする、孤立したアメリカ人の原始的な不安感だろう。
(最終章 顚覆しちゃいましたね/六「ムカムカする」を抱えて生きる、たとえば「アメリカの人達」より)

自分がどういうシステムの上に乗っかっているのかを理解するのはむずかしい。イギリスのEU離脱のあの感じは日本で携帯電話会社がふるまう無料ドーナツに行列する人がいる現象と似て見える。

 
この著者の使う「文学的」という表現はとても印象に残ります。

この現代で「知性」というものは、様々に存在する複数の問題の整合性を考えるもので、一昔前のもっぱらに自分のあり方だけを考える「自己達成」というような文学的なものではないのだ。
(最終章 顚覆しちゃいましたね/五 現代で「知性」とはどういうものか より)

この少し後まで読むと、著者は自分のことしか考えないことを文学的と言っています。
「文学的」は見た目がおしゃれだったり頭がよさそうに見えたりするからややこしいな。

この本はわたしの周囲で「親が家でテレビを見ながらトランプみたいなことを言っててこわい」と言っている友人に教えたくなる、そういう本でした。