うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

連環記 幸田露伴 著

内容を知らずに読み始めたら、のちにお坊さんになる人の物語でした。昔の人の転職話かと思いきや途中からおかしな展開になって、のちにグルとなる人の物語から弟子となる人の物語へスイッチ。しかも、この弟子の恋話がすごすぎる…。さらにパラムグルのような感じで恵心という名前が出てきたところで、このお名前見覚えあるわと思ったらそれは僧侶の源信源信の弟子とその弟子の話なの!?

えーなにそういうことならはじめから言ってよ! と、あとになってみればそういうおもしろさもあるのだけど、そうでなくてもおもしろい。はじめは小難しい歴史の話だと思っていたのだけど、読みだすと途中で止められないリズムと勢い。ギャグなのか本気なのかわからないおふざけの差し込みかたが絶妙で、この笑いのトーンから逸れたくないと思っているうちに先に進んでしまう。漫才の途中でコントを挟んでくるスタイルに似ている。


さっきまでめっちゃくちゃ陰湿でドロドロしてたのに急に怪談めいてきてえええー、そんな展開! となってコマーシャルへ。じゃあわたしはその間にちょっとトイレへ… と思ったらもう頭剃って托鉢してて今度は別の修羅場! え、なにこの展開。トイレ流してすぐ出てきたのに!!! というスピード感。

史実の信憑性の説明も途中で作者が話しかけてきます。ナレーションぽく自然に入ってくる。そのナレーターがどさくさにまぎれて毒づいてる。それを聞いているうちに歴史の勉強になってしまう。
・・・にしても平安時代って、すごいな…。離縁の話になると女の人がめちゃくちゃ不利で、うわーたいへんだなというリアクションしかできない。 「七出の目」の説明が出てくるのですが、なんと当時の夫は妻が以下に該当すればそれを理由に離縁できたそうです。

七出というのは、子無きが一、淫佚(いんいつ)が二、舅姑に事つかえざるが三、口舌多きが四、盗窃が五、妬忌が六、悪疾が七である。

今の感覚だと隷属前提に見えるけれど、恋愛至上主義であったということも描かれています。おもしろいのだけど、おもしろがってもいられないくらい、しゃれにならない。子どもを産む献身的なサイレント聖女じゃなければ離縁って、しんどいな…。


そんなこんなの物語のなかで、身勝手な人が滅びていきそうなところで仏門に入るのは平安時代の生きかたのテンプレートなのか! そのくらい見飽きているのに追ってしまう。いまの時代だって、いま以上に社会的制裁がエスカレートしたら仏門が流行ったり…、しないか。しないかなぁ。

 

ほかにも、この物語には東大寺の僧・ちょう然という人が中国へ渡ったあとにインドへ行こうとしていた(結局行かなかったけど)という話がちらっと出てきたりして、時代的に西暦1000年くらいの頃にはそういう志を抱く僧侶がいたことがわかります。本筋ではないところからも当時のことが読み取れて、おもしろいのにためになる。
導入がまじめで独特なのだけどこのリズムが合う人は、ドはまりする人は好きなんじゃないかな。女性をこき下ろす以下のくだりなどは、カタカナの使い方が最高!

一体女というものほど太平の恩沢に狎(なら)されて増長するものは無く、又嶮(けわ)しい世になれば、忽(たちま)ち縮まって小さくなる憐れなもので、少し面倒な時になると、江戸褄(えどづま)も糸瓜(へちま)も有りはしない、モンペイはいて。バケツ提げて、ヒョタコラ姿の気息(いき)ゼイゼイ、御いたわしの御風情やと云いたい様になるのであるが、天日とこしえに麗わしくして四海波穏やかなる時には、鬚眉(しゅび)の男子皆御前に平伏して御機嫌を取結ぶので、朽木形の几帳(きちょう)の前には十二一重の御めし、何やら知らぬびらしゃらした御なりで端然(たんねん)としていたまうから、野郎共皆ウヘーとなって恐入り奉る。平安朝は丁度太平の満潮、まして此頃は賢女(けんじょ)才媛(さいえん)輩出時代で、紫式部やら海老茶式部、清少納言やら金時大納言など、すばらしい女が赫奕(かくえきと)して、やらん、からん、なん、かん、はべる、すべるで、女性尊重仕るべく、一切異議申間敷(もおすまじく) 候と抑えられていた代(よ)であったから、…<続く>

女性が出しゃばってくるのが気に食わん!と、ノリノリすぎておもしろい…。文字のRAPが好きな人には、たまらんリズムです。


なんの予備知識もなく読んでみましたが、久しぶりに文体で笑えるものに出会いました。

連環記

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連環記 他一篇 (岩波文庫)

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