少し前にインド旅行中にお腹をこわして断食せざるをえなかった話を書きましたが、帰国してから2週間ほどは旧来のような食事ができませんでした。ヨーグルト、みかん、素うどん、おろしうどん、おろし納豆うどん、納豆ごはん、たまごサンド… というふに、ゆっくりゆっくり綱渡りのように胃腸の回復を待ちました。
糖分をとってしまうと、まるですごろくの「ふりだしにもどる」のコマに進んだかのようになりました。濃い天つゆの甘味すらも、やめておこうかな…と考え、もちろんお菓子のようなものは一切食べずに過ごしていました。
のどあめが「スイーツ」にカウントされる生活。これが、やってみると身体の調子がよい。とてもよいのです。自分はこんなに糖分にコントロールされていたのかと驚きました。
糖分をとってしまうと、ほんとうにガスコンロの火を確認するときのように、まるで目に見えるように、油断すると消化の火が今にも消えそうな種火(タネ火、弱火、とろ火)になるのです。
火力を大切に使う
火力を温存する
火を消さない
ということを、いつもは胃袋の中で誰かが勝手にやってくれている。ほんとうに今まで、だれかが勝手にやってくれているとしか思っていなかった。わたしはこれまで重度の旅行者下痢症になったことがなかったのでした。
でも消化って、自分の内臓がやってるんですよね。あんまりやっている気はないけれども、そういうプログラムを搭載しているのは、まさにこのボディ。
帰国後、何度も何度もうっかりをやらかしては
ふりだしへもどる
ということをしていました。ふりだしへ戻ると、また断食です。しょんぼり。
"やらかし" はだいたい、以下のことでした。
- 糖分を通常に近い感じで摂ってしまった
- 食事の量を通常に近い感じで摂ってしまった
- 白湯の温度が高すぎる状態で飲んでしまった
わたしはこれまで糖分が消化力を下げるのを気にしたことがなかったのですが、ここまで不調なときは如実に落ちるのがわかります。携帯の電波アイコンが三本から一本に減るくらいの感覚で、消化力がローになちゃった! という感じになります。
食事の量は、単純にキャパ・オーバー。そんなに長時間、燃やせないよ…という状態になる。
白湯の温度の件も、熱湯だと胃の壁面が洗われたようになってしまうのだな…というのを胃袋で感じました。刺激を減らすために白湯を飲んでいたのですが、寒いのでついアツアツのを飲みたくなり…。そうすると、胃の中がカサカサ下感じになります。
感覚的には、まるで試験管やビーカーの中に食べ物が収められ、燃えていくのを見るような感じで、まさにガラスの胃腸。
ストレスで食べちゃうっていうけど、
食べたいと思えていることが元気の証明ってとこ、あるよ…。
甘いものは。
と帰国後のヨガクラスの前に話したら「耳が痛いです」と言われたので以後は黙っているのですが、胃が活動していないと怒りのエネルギーもわかないのかも…、なんて思ったり。
1月まではガスコンロのトロ火しかつかないような感じで、その貴重な火が風で消えないように大切に大切に使う、そんな日々でした。ヨーガの教典を読んでいるとアグニ(消化の火)のことがよく書かれているのですが、このたびのことで、そのことの意義が大変よくわかりました。