うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ヒロシ

わたしがなにげなく口にしたことがヒロシAからヒロシBに伝わり、ヒロシBから連絡がきてしまった。そしてヒロシCも合流。
ヒロシは約束を守る。まじめな人。信用できる。でもまじめの量は…というと微妙。会うところまででまじめを使い果たしてしまっているのか、会うと中身は適当であったりもする。なので口止めをしておかないと、このようにヒロシ同士でヒロシの話をするなどという事態が起こる。そんなヒロシと一緒にいると、なぜかくつろぐことができます。この際どのヒロシでもいいわ。


わたしは「まじめを使い果たしてしまったときに出る "適当"」の塩梅をヒロシと言っています。ちびまる子ちゃんのお父さんの名前を形容代名詞として使っています。家族の主として働いているヒロシは日々社会の中で役割をこなしています。わたしたちが見ているのは家でのヒロシ。きっと外ではまじめにやっているのです。このように、ちびまる子ちゃんのキャラクターをメンタルの塩梅の表現に使うようになったのは、今年からのこと。
年末年始のインド旅行で消化の火が極端に弱くなる経験をし、そのときはじめて藤木君の気持ちがわかったのでした。よわいシジュウを超えて、です。齢40を超えるまで自分が胃腸絶好調の人生だったことを知らなかったのでした。人生まだまだ知らないことだらけです。


わたしは「テキトー」をはじめから前面に押し出されたものに不安を感じます。「雑」の言い換えと区別がつかない巧みさに恐怖を感じます。ヒロシはユルそうな気配を出しつつ「テキトー」を前面に押し出すことはしません。ヒロシはまじめな人。まじめの総量が少ないだけで、いつだってまじめであろうと、実のところ日々こつこつがんばっています。そんなヒロシに騙されているかもしれない。いや、わたしが騙されにいっているのだ。きっと。


どうですか? いまあなたのなかで、あなたの身近なヒロシの存在感がぐぐっと上がってはいませんか?
わたしに洗脳されていますよ。お気をつけくださいませね。





ヒロシはゆくゆく、友蔵に似てゆくのでしょうか。





ヒロシたちがおもしろがって、わたしにこんな画像を送ってきます。
ばかだなぁ。