うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

つぼみ茸ムース(The cream of the notes 5)森博嗣 著


余裕がある側が折れるというのもヘンだし、へりくだれば寄りかかれると思う側の感覚もそうとうヘン。
ニュースを見ていて「なんでこんなトーンなの?」と思うことについていくつか、「そうなんだよな…」と思う箇所がありました。なかでもオバマ大統領の広島訪問の件が。「謝罪」という言葉が使われる場面について、この本にあるようにつまりは態度なのだろうけど、要求がおそろしくなっていると感じます。感動も批判も、粘り気が増している。


ニュースは数字を上げるためのものがピックアップされているからそう見えているだけ…、と一歩引いて考えてみても、でも数字が上がるという事実があるのか、というところに戻る。その数字とは、どんなもの? と想像する。
身近な状況を見てみれば、選挙の時期に知人が驚くような啓蒙活動をネット上でしていたりして、いざそのような「本気ですか」と思うことが起こってはじめて、メディアに踊らされるという実体がナマナマしく感じられてくる。あれはネット上でのことだ、実際勧誘をしに来られたわけではないのだし、というふうに自分で自分をなだめてみるものの、「本気ですか」という感情が起こった事実は残る。
そういうときにわたしはこのシリーズを開いて、「落ち着け、自分」と、自分をなだめる。


今回は印税の料率について書いてあるトピックがあって、それは状況を置き換えるとわたしがスタジオからたまに声をかけてもらうワークショップを結局やらないことになる流れとよく似ていて、何度か読み返しました。「じゃあ○○ならいいんですね」という聞き方にいたるまでの中間がない、取引に至らないしんどいコミュニケーション。
暖簾に腕押しとも違うこういう流れは、鈍いといったらそれまでなのだろうけど、様式美とは受け取れない。こういう素直さをなるべくそのままにしたいのだけど、そのままにしているとものすごく感じの悪い人のように扱われるのは今後もますますエスカレートするのかしら。
63番目のエッセイにあった「〜するつもりはない」と「〜の予定はない」の話も、ちょっと似たことを思い出す。「予定はない=興味がない」と受け取る人がいるから、「今のところ予定してないです。すごく、よさそうですけどね」なんて添える。「予定する」って、奇妙な日本語…と自分でも思いながら、そうする。


どちらに偏っても偏らなくても、嫌われるときは嫌われる。美化されるときは美化される。こちらのコントロール外のことを再認識する。
読んだ後は、まるでトレーニングのあとのうっすらとした筋肉痛のようなものがある。
そしてまたこのシリーズを手にする。ここ数年、その繰り返しになっている。


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