うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

道草 夏目漱石 著


定職を得ていれば、仕事をしていれば、人に使ってもらって給料を稼いでいれば、親族から人並みに接してもらえる。でもそれがなければ、親族内カーストのあのつらい位置へ転落する。あそこはつらい。負担になる存在として扱われるのはつらい。つらすぎる。頑張らなくちゃ。そんな思いで働きすぎる30代。
仕事をしているときだけは忘れられる。締め切りのあるわたしは、会合に呼ばれているわたしは、作業をたくさん抱えているわたしは、予定が詰まっていれば、予定さえあれば…、 親族やあなた誰と思う人から頼まれる書類への捺印やサインを先延ばしにする口実もできる。そんな思いでモーレツに働く主人公。


・・・ あなたは、かつてのわたしか。

 健康の次第に衰えつつある不快な事実を認めながら、それに注意を払わなかった彼は、猛烈に働らいた。あたかも自分で自分の身体に反抗でもするように、あたかもわが衛生を虐待するように、また己の病気に敵討でもしたいように。彼は血に餓えた。しかも他を屠る事が出来ないのでやむをえず自分の血を啜って満足した。


このまま仕事で身体をボロボロにすることでしがらみから解放されるのっていいかも。と、30代の頃にはわたしもこの主人公のように思ったものです。自分の血を啜っている瞬間にしか、自分の人生を感じられない。それだけでもつらいのに、この主人公には妻子がいて、妻はクール。かわいくやさしくウンウンとはうなずいてくれない。これはこれでつらそうです。
この妻、混同すべきでないことを混同しないんですよね…。そこがすごい。混同すべきでないことを混同しない処理をずっと続けているために、たまに爆発する。おもしろい!


どこまでも現実的で苦しい物語。わたしはセンスのいいポジティブ・ラッピングの美談を読むとシラけてしまうから、こういう話を読むと安心します。
「あなたの希望は認識しているが、あなたの思う通りにはできない」と対応するための意志をまとめるまでの思考はたいへんナマナマしく、エグい。下から斜めから、そしてまさかの角度からくるあらゆる支配を退けなければ生きてゆけない場面で起こる思考を書き尽くしている。最高だ。やっぱり夏目漱石は最高だ。
いままさにサービスのカバー領域を超えまくったご意見ご要望ご質問ご進言ご指摘などなどに耳を向けせざるをえずメンタルが自虐的になりつつある、そんな状態の人が目の前にいたら、この本をそっと手渡したい。


  坊つちゃん性を保持したまま中年になり、
  その後もコツコツ着実に疲弊して
    ── このような大人になりました!


わたしは、そんな物語として読みました。
この物語のラストもすき。"冷えきっているところもあるけれど、よきパートナー" という関係って、あると思うから。終盤で妻が怒る場面は映画「フレンチアルプスで起きたこと」そのまんまで、あの時代にすでにここまでツッコミ済みだったなんて。
そしてなにより、主人公が本職以外で思わず報酬を得たときのその後の行動のかわいらしさが印象に残ります。鉱脈として手にしたものがあったから、書けた小説なんですよね。よかったねぇ、ほんとうに。
この小説は「金と縁」「夫婦関係」どちらにフォーカスして読んでも、どこまでも執ッ濃い。執が、濃い。


こんなすすめかたはおかしいと思うのだけど、消えたくなるような日々を送っている人にこそ「読んでみて」と差し出したい。毒を以て毒を制するには、このくらいじゃないと足りない。
ポジティブな生き方を貫いた主人公の物語を読んでも、自己啓発書を読んでも、スピリチュアルな本を読んでも、影響を受けるのはいっときのこと。だったらどこまでもこのつらさを拾ってくれる物語のほうが良薬じゃないかと思うのです。この主人公は、情から発芽する淋しさと慾から発芽する淋しさのグラデーションをとことん刻む。「神でない以上公平は保てない」とボヤキながら、とことん刻む。
わたしは、この物語をかつての自分に「読む薬」として届けたい。必要なタイミングで届けることができなかったのが残念。若いときにもっと小説を読めばよかったな。


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青空文庫Kindle

道草
道草
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(2012-09-27)


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