週刊新潮の連載コラム「人間自身」をまとめた本。「村上ファンド」の話題などが出てくるので最近のものに感じますが、もう10年前かぁ。週刊雑誌に似合う毒っ気があり、これも読者のモードにあわせた文体のバリエーションのひとつかな。
おもしろくてイッキ読みしつつ、反省を促されるトピックも多く、「まともに生きよう」という気になります。
<46ページ 絶対安全人生 より>
規則に判断を委ねてしまうと、人生は本来が危険なものだという常識を人は忘れる。いや忘れてしまいたいからこそ、人は規則を求めるのだが、それでは本来の人生を生きたことにはならない。
もうほんとうに規則についていけなくなってきた。
<113ページ 株取引知らない より>
たぶん、「仕事」を「ビジネス」と言い始めたあたりから、人はおかしくなった。日々の糧を得るために地道に繰り返す仕事、そういう意味合いが、何か浮ついた、人生から遊離したものに変化したのである。
「仕事」→「事業」→「ビジネス」→「マネタイズ」と、どんどんゲーム化している感は、たしかにあるなぁ。
<151ページ 脳は何でも知っている より>
改めて言うのも変なほど当たり前のことだが、世界とは、私によって見られている世界である。それを見る私が存在するから、世界は存在するのである。私が存在しなければ、世界は存在しないのだから、私とはすなわち世界なのである。主観すなわち客観なのである。この全一性、ここに脳の出番はない。
この流れには、森達也さんと似た思想を感じました。
<167ページ 娯楽が人生 より>
本質的な事柄を考えるために、外的な刺激や情報は不要である。頭ひとつあればいい。
「葉っぱ一枚あればいい〜♪ 生きているからラッキーだ〜♪」という「はっぱ隊」の歌が脳内BGMで流れだす。はっぱ隊、すごいなぁ。
10年前のトピックなのに、いま読んでもドスンと沁みるお話がいっぱいです。