うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

こころ(映画・1955年版)監督:市川崑 脚本:猪俣勝人


結論から書きますが、これは完璧じゃないでしょうか。原作にかぎりなく忠実なうえに、それ以上と思える解釈の補足があります。
先日感想を書いた「吾輩は猫である」と同時上映で、三鷹で開催された文学イベントで観ました。当日現地で合流したTさん(わたし以上の漱石読者)も、「これはすごいですね」と興奮。帰りにファミレスで深夜まで話し込んでしまいました。
登場人物のKは「梶」という苗字を当てられているのですが、すべての俳優・女優さんが完璧にその訳の人にしか見えない。「お嬢さん・静」役の新珠三千代さんの、娘時代と結婚後の演じ分けがうまい…。あとは、やっぱりKの神経症っぷりの痛々しさ、先生との力関係のシーソー描写にハラハラします。
冒頭の、「子供はできない、天罰だから」といって縁側で凍りつく感じ、奥さんが「わたしのせいだと思っているのか」と書生に詰め寄る感じ、出だしからなにもかもが脳内映像を補強しまくる完成度で引き込まれる。特に「下宿先」のシーンは、もともと自分が脳内で描いていた「間取り」とあまりにも似た映像で、「観たことある!」という感じでワクワクしました。
ちょっとしたディテールの補完もすごく、「こころ」のその後にはいろんな人がそれぞれに解釈を持っていると思うのですが、この映画のラストは、Tさんから



 あのラストは、うちこさんの解釈と一緒じゃないですか?



といわれました。(わたしの解釈では、あの遺書には「静を頼む」と書いてあるのではないかと思っています)
Tさんがそんなことをおっしゃるものだから、「やっぱり?」と盛り上がってしまい、帰れなくなってしまいました。


(以下U=うちこ)


U:カルタ会の要素を、袴を縫う縫わないのやり取りに変えたの、そうきたか! と思っておもしろかった〜

T:図書館の場面はちゃんとありましたね!

U:うんうん!

T:襖を開けた場面で、会場で息を呑んでいる人があんなに…。

U:「国民的ネタバレ小説じゃんか!」と、わたしも心の中でつっこんでた〜

T:読んでないの?! と思って。学校でやったのに…

U:今日は年配の人が多かったから、教科書も違ったのかなぁ

T:おどろきすぎ(笑)

U:あのあと、一瞬Kを足蹴にしたね。あの演出しびれる

T:わたしも! あれは見逃せなかった…

U:先生の生い立ちの事情を、あの短い数分で完璧に感じさせたのすごかったなぁ

T:冒頭は海でなくちょっと険悪なところからでしたね。意外

U:海のところと日蓮の誕生寺のところは、さすがに変えたね。時間足りないもんね

T:あの崖で帽子が飛ぶシーンからが、そうなるのかぁと思いました

U:真横から足元を撮って、下駄の磨り減り方で力関係を表現するのとか、すごい…

T:そういえば、「あ! 奈良岡朋子さん」て思いましたね。下女の人

U:わたし、奈良岡朋子さんは完全に大河ドラマのナレーションの人というイメージで、顔わからないの…



などなどなど。細かすぎて終わらないディテール確認会(笑)。
この映画版は、静の母の示唆に淡い光でスポットを当てるような構成がたまらない。
冒頭にも書いたのですが



 完璧じゃないでしょうか。



なにもかもが、です。そして、オシャレです。
よくもまぁ、ここまでくまなく要素を整理して、でもギュウギュウ感なく観せてくれるもんだなぁ、と。
こころ」を読み込んだ人には、「細かすぎて伝わりすぎる映画」という名作です。


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