本屋でちょっと立ち読みしたら止められず、買ってイッキ読みしてしまいました。
上野千鶴子さん×どなたか、の対談本は過去に何冊か読んだことがあるけど、この本は「広告と雑誌編集が結託し始めた時代の中心にいた。(87ページ)」という湯山氏が相手。権力とお金の話もわかりやすくておもしろかった。上野氏から「ポリシー上、手を出さないカネは私にもいくつかある。(79ページ)」なんて話が出てきたり。
対談の中にいろんな本の名前が出てくるのだけど、男性の小説家やその作品の主人公から展開する雑談がおもしろい。
<「頭を下げてでも」という熟女の新機軸 より>
上野:こちらから頼まなくても、カネと権力があれば、若い男も若い女も寄ってくるでしょうよ。現に、若い女はカネと権力のある男に寄ってった。渡辺淳一さんのエッセイを読んでいたとき、「あなたなんて、財布の厚さとツラの皮の厚さでモテてるだけでしょ」と失礼にも思ったんだけど、彼はそれを先取りして、「財布の厚さも男の魅力のうち」と書いていた(笑)。
湯山:さすがである!
わたしもこういうとこ、すごいと思っている。「解剖学的女性論」渡辺淳一 著は必読。(これはわたしからのおすすめ)
<「不安」の増大と、村上春樹小説に見る受動体質 より>
(『ノルウェイの森』の主人公の話から)
湯山:「やれやれ」の口クセが、すべてを表わしていますよ。
上野:あなたもそう感じた? 春樹の小説の主人公の場合は都合のいいことが起きるけど、普通の男の子の場合には、自分からアクションを起さないかぎり、何も都合のいいことは起きない。
「俺もわかる」みたいなトーンで感想を語ってもアリかのような状況が成立している村上春樹小説。ほんといろいろすごい。マーケティング・センスがあるんだろうなぁ。
中盤に、上野氏が「性への目覚めのきっかけ」を、こんなふうに思春期を振り返って語る部分があるのだけど、その内容が、わたしがインド哲学にハマるきっかけとすごくよく似ていて、自分の昔の考えを思い出した。
例えば、ラブレターが来て、「貴女」と書いてある。それで返事を出したら、次の手紙に「君」とある。なんで返事を一回出しただけで、「貴女」が「君」に変わるんだろうと思った。そのまま放っておくと「おまえ」になりそうな勢い。(196ページ)
なるほど! と思った。 わたしは「人の好き嫌いが発生する仕組み」への問いからインド哲学にハマっていったのだけど、そのさらに元の疑問は、こういう「距離の縮まりかたへのコントロール不可能な感じ」にある。
「人は経験から学ぶと言うけど、経験から学ぶ人と学ばない人がいる。(238ページ・上野氏)」というコメントが、学ぶのがいいという話ではなく、学ばない人に救われる気分になることもあるという流れで語られていたのも印象に残った。
上野氏は広く深い目で未来の全体像を、湯山氏は世の中の仕組みの中で楽しめることとそうでないことの境界を丁寧に見ようとしている。
かなりエグいこともトピックにしているのに、読後にドゲトゲした気分にならない。この本を読んでいたら、持つべきものは対話のできる女友達だなぁ、なんて思った。このお二人の組み合わせはとても素敵です。