うちこのヨガ日記

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ある女の生涯  島崎藤村 著

わたしは島崎藤村のことを、ものすごく正直であけすけな人だといまのところは解釈しています。同時に、巧妙な文章化を運動神経的にやれてしまう人だとも思っています。
その性質のバランスが似ている人として真っ先に思い浮かぶのは、スティーブ・ジョブズ。人間の意識の選択をバグも含めて構造的に捉える人の力は神通力にも見えることがあって、この観察眼と狡猾さを世間ではサイコパスと言っているのではないか。島崎藤村の文章を読むたびに、わたしはこんなことを思います。


島崎藤村は「ある女の生涯」で、実姉の病の記録を小説にしています。そういう人が書く「身内で統合失調症を発症した人のレポート」は、異様なまでに精確です。そりゃそうです。Think different なんだもの。こんな話を短編小説にするなんて天才! と驚きました。
主人公は島崎藤村の5人兄弟の長女で、わたしはその前にこの家族の人生を書いた「家」という小説を読んでいました。


現代では統合失調症が100人に一人弱の割合で発症する可能性があると言われるくらい解明されてきたけれど、この小説の書かれた頃は発症後に亡くなれば「狂死」と雑に要約されてしまう、そんな時代。島崎藤村の父親は家の敷地内に作った座敷牢に入れられており、いずれも現代に残る記録としては「狂死」の扱い。周囲の人々がその人をどう見てどう扱っていたか。それは物語の記述のなかで示されます。
この小説のすごいところは、本人がどんな境遇・環境のなかで頭の中の記録を変換していったか(認識の上書きプロセス)が、本当にそうであるとしか思えないように書かれているところです。

本当にそうであるとしか思えないのは、その認識の書き換えがあまりにも日常的だから。
たとえばインターネット上で陰謀論を信じてなにかを訴える人のそれ、あるいは盗撮されているとか近所の人に監視されていると言い出す人のそれ。すべてを一定のルールで記録することができるのは機械だけで、人間の脳はそうじゃない。バイアスがかかります。
わたしは島崎藤村を人間としてはまだ好きになれないけれど、ものの見かたの面で "自分にも狂いの機能がある" ことをドーンと最初から受け容れているところに信頼をおいています。

こんなに長々くどくど書いたのは、わたしは島崎藤村サイコパス的な魅力に惹かれているわけではないと言いたいためで、なんというか、やっぱりそういう魅力を認めざるを得ない能力がある人だと思います。
人の心の深いところに迫ろうとするとき、そこに同情を挟むことは障壁。同情すればするほどその人の苦しみから遠ざかる。島崎藤村はそこにがっつり取り組んでいる。
同情・共感・感動のバランスが奇跡的にうまくいった「破戒」は小説家としてのビギナーズ・ラックにも見え、その後の小説は現代ではあまり人気がないけれど、自分の中に狂いの機能があることを認識した上で、なんとかそれをうまく避けて肉体の死まで漕ぎ着けたいと考えているわたしのような人間にはこの上ない牽引力がある。

 

さて。この短編小説の中身の話です。
この物語は、どう書いていいかわからないくらい、当たり前につらい話です。
狭いコミュニティのなかで生き、女性が自分で仕事を得て自立することが難しい時代の、自分よりも立場の弱い者に権力を働かせることができている瞬間を心のよりどころにしている人生。

現代もあまり変わらないところがあるのですが、今ほど他者の生活が見えず比較対象もなく語彙も限られているために、本人の内面の吐露で登場するコンテンツがストレートで鋭利です。頭の中の言葉が口からだだ漏れになっている様子を、弟である作家が書いている。
先に具体的なネタ(主人公の発話)があって、それを回転寿しのベルトコンベアみたいに連続性のあるものにして、読者の意識に運び入れる。

外に夫の作った子供がいたことのつらさ、夫経由で移された性病が持病になってしまった悔しさ、家族からハサミや小刀を隠されている状況認識からくる疑心暗鬼、姪が幸せそうな結婚生活を送っているのを見て "なんでお前がこんなによい旦那を持つのか" と妬む気持ち。
こんなふうに自尊心の崩壊プロセスを見せられると、世間で芸能人の不倫のニュースがなくならない理由がわかる気がします。ああいうのを見るのは暇だからだとか、くだらないとか、人生に目的がないからだと突き放すのは簡単だけど、この本を読むと不倫のニュース報道にも社会的意義を見出すような、そんな思考が広がります。
人生に目的を持つってなに? わたしは義務をせっせと果たしてきましたが… と、そもそも努力をしてきた人がたくさんいる。生まれたときから悪いニュースを好む悪魔的な人なんて、そうそういない。この小説の主人公は別の小説「家」の冒頭を見るとわかるのだけど、その土地の地主の妻として、十三人分の食事を毎日作り続けた過去がある。


ここまで日常に影響する形で視点をスイッチさせられたのは久しぶりで、「破戒」の読書以来のこと。島崎藤村はとんでもない人です。
「グローバルってなんですか。外来語の印象に逃げていませんか」と仕切り直してお題を投げてくる。
淡白で乱れぬ文章でそれをするのだから、かないません。

 

ある女の生涯

ある女の生涯