つい店主と話が盛り上がりすぎてしまう、最近よくいくカフェに置いてあった本。こんなに素地のドッシリした哲学書だとは、読んでみるまで知らなかったけど、生命観、芸術、パリ……。なるほど、な道筋。
<44ページ 直線と曲線の違い より>
中学に入るか入らないの頃、ショーペンハウエルにとりつかれ、学校の授業中でも、前の席の子の背中に隠れて読みふけったのを覚えている。はじめての哲学書だったけれど、とてもよく解ったし、面白くて、ちっとも難しいと思わなかった。
このくだりの前に、子供時代に西遊記を夢中になって読んだという話があって、わーい、と思っていたのだけど、中学でショーペンハウエルときました。わたしはショーペンハウエルを読んだことがないのですが、インド側からウパニシャッドと共通性があるということをJ・ゴンダ先生の「インド思想史」で読んだことがあったのを思い出しました。
<191ページ " 爆発 " の秘密 より>
一般に「爆発」というと、ドカンと大きな音が響いて、物が飛び散り、周囲を破壊して、人々を血みどろにさせたり、イメージは不吉でおどろおどろしい。が、私の言う「爆発」はまったく違う。音もしない、物も飛び散らない。
全身全霊が宇宙に向かってパーッとひらくこと。それが「爆発」だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償う、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちの本当のあり方だ。
子供の頃から私は自分の胸の奥深いところに神聖な火が燃えているという、動かし難い感覚を持っていた。それは誰にも冒させることのできない、絶対的な存在感なのだ。
(中略)
ほとんど絵筆を投げ捨ててソルボンヌ大学に通い、哲学、社会学、それに最後は民俗学に没頭して、社会対個の問題、避けて通るることの出来ない自分の疑問や悩みは徹底的につきつめてみようとした。緊張した、白熱の知的交流もあった。
ソルボンヌの生活はそれなりに充実して、ぼくにとって忘れ難い貴重な経験だった。が、自対他。いったい自分は何なのか。幼い頃から抱きつづけてきた絶対にゆずりわたすことの出来ないアイデンティティーを、どうこの世界に押し出していったらいいのか。一番根本のなやみはそう簡単に答えを出すことは出来なかった。
この一冊はまるごと哲学書なのだけど、こういう背景があったとは。
禅への指摘も。
<32ページ "モノマネ" 人間には何も見えない より>
とかく、そういう一般をオヤッと思わせるような文句をひねくりまわして、型の上にアグラをかいているから、禅がかつての魅力を失ってしまったのではないか。
と、禅僧の催しで話されたそうです。ラマクリ師匠のヴェーダーンタ斬りを想起しました。
<74ページ エゴ人間のしあわせ感覚 より>
ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。ぼくは幸福という言葉は大嫌いだ。ぼくはその代りに " 歓喜 " という言葉を使う。
もろインド……。
この本の大きな読みどころとして、「恋愛観」があるのですが、
<158ページ 自分の愛とその人の愛の違い より>
平安時代のプレイボーイは、性に命を賭けることに、ロマンを持っていた。在原業平を知っているだろうか。天皇の女を盗んで、背におぶって逃げたんだ。
このように、とんでもないところから実例カードをきってくるんですよ!
<170ページ 失ったときから始まる愛 より>
自分の息子だからかわいいとか、自分の親だから大切にしなくては、という狭い愛ではいけない。ぼくはそう考える。
(中略)
世界中の子どもはみんな自分の息子だ、世界中の親はみんな自分の親だ。そういうおおらかな豊かな気持ちを持ちたいと思う。
この言葉に至るまでのところが、一冊を通じて感じられる生命についてのメッセージ。
年末年始に読むのに、最高の一冊ですよ。