うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

胃と肝臓とサービス精神とストレスの関係

背中から見た胃と肝臓
コンスタントにヨガを一緒にやっている人を見ていると、「今日は極端に左が縮んでるな」とか、「今日は呼吸が胸の裏にうまく通っていないようだな」とか、日によってそういう微妙な違いがみえます。
「今日はどうにも胸の裏が反らなかったね」なんて声をかけてみると、「最近こんな毎日で……」とか、「こんなことがあって、もう疲れちゃって」なんて話に展開することもあります。

そんななか、わたしのなかで「人のストレスの性質は2種類にわかれるんだな」ということが最近わかってきて、それは「胃」と「肝臓」。
ストレスとか怒りというのは、意図的なサービス精神を働かせなければ、あまり重いものにはならないと思うのですが、「サービス精神」というのは実に厄介なものだなと感じます。
以下、完全に自論による分類なのですが



■胃のタイプ:責められたときに「わたしのどこがいけないの」と感じる。誰かをたすけるときは「いいよいいよ」という感じで、受け止める流れになる。


■肝臓のタイプ:責められたときに「なんだよ、まったく」と感じる。誰かを助けるときは「そこ、大変でしょ」と拾いに行く流れになる。



たいていの人が両方に心当たりがあるかと思いますし、どちらかというとこっちだな、という傾向も自認しているかと思います。みんな、そうやってバランスをとっている。
わたしが「ああこれは、本当に大変そうだ」と思うのは、これが自分の本来の性質(サービス精神のタイプ)を越えて「相手によってその傾向を決め込んで変えている」「どこかに寄りかかった上でストレスが発生している」場合です。
恋愛を例にとるとよくわかるかもしれません。「捨てられたくない」とあせっている人は、本来は肝臓系のサービス精神の持ち主なのに、その相手のこととなると胃のほうへグッと要点が偏ることがある。
逆もあります。普段は「いいよいいよ」とあたたかく受け容れる母性で人に慕われているのだけど、人が楽しそうにしているのを見て、ときに「いいわねあなたは」みたいなことを言い出したりする。


こういうのが、インドでは月と太陽、中国では陰と陽なんていわれる分類なのだと思うのですが、たぶんバランスは、反対側の性質に対して

  • いいとき:わたしは、こちら側で楽しんでいますよ。
  • 中間のとき:そっちもいいわね。でもわたしはこっち側かな。
  • 偏ったとき:そっち側が世界の中心だと思うなよ。

というところを行ったりきたりしている。
「けしからん」といったり、「オッホン」と咳払いをしたりするような気持ちになるときというのは、さざ波。自然なことです。これは、いいんです。あるある。
それ以上の「荒波」のときというのは、先に書いたように、なにかに焦点を当てて盲目的になったり寄りかかったりした上で、本来の自分のスタンスとは逆の立ち居地でストレスを感じているときではないかと思います。



 ■普段は胃のタイプなのに、「あなたが気に入ると思ってやったのに(肝臓がはじまり)、なにがいけないの(胃へ戻る)」


 ■普段は肝臓のタイプなのに、「あなたが困ったと言ったから(胃で受け容れて)、こんなにしてやったのに(肝臓に戻る)」



この「いったん反転しているパターン」のときは、難しいです。
でも「本来のパターン」のときは、背中の右か左の、その人サイドをやさしく手のひらでじわーっと押したら、少し楽になる。図は背中から見た配置ですが、胃の人には左を、肝臓の人には右を。
身近な人が、基本はいつもどおりなんだけど少し疲れているように見えるときは、ぜひ参考にしてみてください。ベースがいつもどおりじゃないときは、距離を置きましょう。
ざっくりですが、わたしの身近な人の統計では、経営者は右、献身者は左の傾向があります。どちらも奉仕なんですけどね。
右の人は触れているうちに次第に悪臭がしてきたりすることがあって(毒が出て、いいのだと思っている)、左の人は触れるほど終わりがどんどんわからなくなっていく感じがします。左の場合は、軽くおしゃべりしながらがいいと思う。性根のところでしゃべりたがってるから。


自分で自分の心の状態が分解できているときは、マッサージに行ったときに「胸の裏の(左右どちらか)側をじわーっと押してください」とリクエストしてみるとよいかも。指圧のような点ではなく、手のひらの面で。
わたし自身は、自分で自分の背中を押すことを楽しんでいます(参考)。