去年インドへ行ったときに持参していたので2年前くらいから手元にある本なのですが、ずっと紹介しそびれていました。日本人以外の人による実践本の紹介は久しぶりです。
この本は、冒頭と各アーサナ解説内にあるコラムがおもしろいです。実践者向けに淡々と「そういうものだ」という言い切りで身体論が進んでいく。ヨガを始めて3回目くらいです、というタイミングで読むと「なんのこっちゃ」と思ったり、この言い切りなノリに驚くかもしれませんが、淡々と訳されている本でしか味わえない楽しさです。
今日はウトゥカターサナまでのなかから何箇所か、この本の面白さが飛び出ている箇所をご紹介します。
<19ページ バンダ より>
感情とは、元々の気持ちが心に潜在印象を残したために生じる、保存された気持ちである。パタンジャリは、この印象をサンスカーラと呼んでいる。感情的になることはより本来の姿に近づくことであるという理論は、間違っている。感情的な人とは、常に「頭の中にいる」人同様、過去の中に存在しているのである。
冒頭解説がすばらしいんですよ。この本。
<24ページ ヴィンヤサ より>
ヴィンヤサ・ヨーガの際立った特徴の1つは、ポーズを長い間保持することがない点にある。身体的ヨーガが持つ大きな落とし穴の1つは、ポーズと一体化した体に没頭することである。「今、私はパドマーサナですわっている。これがヨーガだ」と思ってしまう。これほどひどいことはない。パドマーサナですわっていることを傍観している気づきを認識すること、これこそがヨーガである。
「・・・と思ってしまう。これほどひどいことはない。」というのは、翻訳本ならではのバッサリ感。
<25ページ ヴィンヤサ より>
アーサナだけを練習すると、過度に体が柔軟になりそのため体を弱体化することもある。体内での骨格の適切な位置、特に脊柱の位置は、筋肉中に中核の緊張を維持することで記憶される。
やわらかさとしなやかさは、ちょっと違うというお話。
以下は、アーサナ解説の中から。
■サマスティティ の解説より
あごをわずかに引き、耳を肩の線まで下げる。肩のラインまで耳を引くと、よく見かける頭が前に出た姿勢、横から見ると耳が肩より前に位置する姿勢を正すことができる。この差は時には10センチ以上になることもあり、通常心が行動より先走っている状態を表している。これとは逆に、過去のことばかり考えている人は立つと頭が後ろに傾いていることが多い。
野口整体っぽくて面白いです。
■スーリヤ・ナマスカーラB の解説より
アシュタンガ・ヨーガでは、クンバカ(呼吸の保持)の間では決して動きを行わない。(サマスティティで)息を吐きながら足を伸ばし、腕を下げ視線を穏やかにする。
この「視線を穏やかにする」っていう訳がすき。
■パーダ・ハスターサナ の解説より
微妙で知性的な働きにより、寛骨上部縁である骨盤の頂点と最下位肋骨との間のスペースが広げられる。体幹の両脇群が等尺的に(緊張しながらも縮むことなく)働き、その結果両筋群が引き伸ばされる。これが、能動的バランスである。
ちょっとややこしいですが、そこは「微妙で知性的な働き」の話なので(笑)。なんか、おもしろいんですよね。
■ウッティタ・パールシュヴァコーナーサナ 解説より
上げた手のほうに頭を向け、首をねじらずに腕に沿って手のひらを見上げる。ここまでの手順が正確にできていれば、顔には穏やかな喜びの表情が見られるはずである。緊張、努力、あるいは野望で顔が引きつっていれば、ポーズが極端な状態におちいっているということだ。
この「首をねじらずに」〜「ここまでの手順が正確にできていれば、顔には穏やかな喜びの表情が見られるはずである」という短い文章で終わるところなど、読み手の「自責」をあたりまえの前提として出版されている感じが良いです。リスクヘッジされた弱気なヨガ本はつまらないから。
■ウトゥカターサナ 解説より
体が簡単に柔軟になる人は、どんどん体を柔軟にする方向へ進む傾向がある。しかし、柔軟性は筋緊張の低さを伴うことが多い。筋緊張が低いと筋肉を伸ばすことはできるが、相対的に筋肉を収縮することはできない。この傾向を和らげるために、柔軟性を追求するよりも耐久力を養うことに集中する必要がある。
耐久力ね。以前「アーサナの褒められ方の違いと価値観」という日記を書きましたが、こういうことだったのだと思う。
翻訳本ならではの楽しみが詰まった本です。普段やっているのはアシュタンガではないけれど……と迷っている人にもおすすめ。ヨガの翻訳文章を読むのもまた勉強になりますよ。
(この本の後半の紹介はこちら)
産調出版
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