友人の勧めで観ました。目を覆いたくなるものやごちゃついたものがなく、疲れない映画でした。こういうのは久しぶり。
この映画を観た直後に、子供の頃のテレビの安心感を思い出しました。
昔のすてきなテレビ番組は一社買い切り広告のものが多かったように思います。三洋電機の「兼高かおる世界の旅」、出光興産の「題名のない音楽会」、サントリーの「料理天国」、ロート製薬の「クイズダービー」、よくよく思えば東芝の「サザエさん」もそうです。
いまはこういうトーン&マナーが統一されたものを映画で観る時代になったんですね。
ひとり暮らしの中高年男性の
悲壮感のないライフスタイル
一社買い切りの広告予算で製作されたムック本『PERFECT DAYS』を映像にしたような作品を、外国人映画監督が撮っています。
JAPAN TOKYO の CLEAN CITY と SIMPLE LIFE のPRとして素晴らしく、自国への誇りが静かに刺激され続けます。
これは "外向きのもの" として観た感想です。
東京で労働し生活する感覚を残しながら観たら、違う感想も抱きます。
穏やかに描かれる60代男性主人公・平山氏の経緯を推察しながら、ああこれはサブカルインテリおじさんに爽やかな引退を提案する映画なのかと思えてきます。
プライドをコントロールすることで静謐なキャラクターが手に入りますよ、と提案するスタイル雑誌のようなのです。存在が、まるで稲垣えみ子さんの男性版みたい。
自分を重ねて見る視聴者の自尊心に配慮して(あるいはスポンサーに配慮して)、トイレ掃除の仕事でも吐瀉物のような汚れは登場せず、主人公を深く傷つけてこない存在の配置だけで場面が回っていきます。
仕事なので当然面倒は起こるのだけど、それも一時的なこと。
この映画をわたしは雑誌のように観ました。
この先は内容に触れながら映画として観た感想を書きます。これから映画として観ようと思っている人は、観てからまたおいでください(ブラウザを閉じてください)。
「映画」としての感想
映画の後半から急にヴィム・ヴェンダース監督が強い自己主張をはじめて驚きました。
主人公と少女が公園で牛乳を飲むシーン、自転車で漕ぎ出す瞬間、銭湯のおじさんたちが首をかしげる角度のシンクロ。小津安二郎監督へのリスペクト・アピールが後半で連投されます。
これまでの流れからのこれは、やりすぎです。前半が台無しです。入れ方が雑ですって、誰も言えなかったのか。気づかない程度に入っていたことに後で気づくほうがいいというのは、日本人的な感覚なのか。
人物造形への感想
主人公はいつもお気入りの場所で食事をし、口から入れるものにこだわりがありません。自分が執着してきたルーティーンに波風が立ったときに、お酒とタバコを同時に買います。
ここは、ルーティーンで生活を固め自我を守るスタイルに溺れたことによる傷つきやすさが凝縮されているようで、とにかく低刺激なこの映画の世界観のなかでは残酷な場面です。
主人公はなにかを乗り越えた人でも諦観した人でもなく、歳をとった少年が静謐コーティングされている現在がここにあるだけ。その種明かしというかメッキの剥がしかたまでおしゃれにデザインされていて、とことんだなと思いました。
主人公の家族構成や育ちについては、観る人にヒントが与えられ過ぎと感じました。
姪の名前は主人公がつけた(あるいは影響した)ことを想起させるために不自然だし、自分のことを「僕」と言ったり、ハグする文化での生活経験、固定の愛好(菓子?)ブランドがあるなどの情報がまとめて出てきます。
ここまでやらないと主人公が父親との関係で傷つき頭でっかちになった息子であることや、元々すごく仲のいい兄妹であったことが伝わらないだろうという意図かと思うのですが、親との確執が織り込まれたことで急に疲れました。刺激のバランスとして、急に濃くなった感じがしました。
自分自身に対する感想
気持ちをざわつかせるものが視界に入ってこないとこんなにも心地よいものか。
「きれいなものだけを “現実として” 見ていたい」という欲求が自分の中に強くある。その本音をあぶり出される経験でした。雑誌として映画を観る感覚って、すごくラク。
若い頃はおしゃれでアホで楽しいものだけを観る時間として『オースティン・パワーズ』に興奮していたわたしが年齢を重ね、穏やかで害のないものだけを観ていたい人に向けられた映画に癒やされている。
この映画はわたしがその中間の時期に我慢してきたことを認める誘い水のようでもあって、不思議な後味でした。
▼Amazonで観ました
