うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

アシュタンガ・ヨーガ 実践と研究 グレゴール・メーレ著(後半)

昨日は立ちポーズまででした。今日はその続きです。
おそろしく言い切りが気持ちよい、「迷わず行けよ。行けばわかるさ」な語調は後半も続きます。今回ここで紹介するにあたり、メモしていた箇所をあらためて読み直したけれど、「実践本は、やらない人を考慮しなくていいんだよな。そうだよなー」と、あらためて認識した一冊。西洋経由の本のいいところは、こういうところかもしれない。
後半も時おり登場する身体哲学がまたたまらんのですが、今日紹介する箇所は、いきなりシャーマンの教えとドンズバっちゃいます。いきますよ。

■パシュチマターナーサナ 解説より
パシュチマターナーサナで最も重要なのは、身を任せることである。このポーズはハムストリングを征服するものではなく、解放するものである。ハムストリングに息を吸い込み、ハムストリングを緩めれば、大きな動揺が生じる。抑圧された怒り、競争心、欠点に対する恐怖心など、ハムストリングには多くの力強い感情が蓄えられている。

なんかメキシコ人が同じようなことを・・・
です。

柔軟にすることによって、太ももの裏側にたまった履歴をかきたてる
(反復のためのマジカルパス/呪術の実践 古代メキシコ・シャーマンの知恵 カルロス・カスタネダ 著

これです。そこをやわらげろと。


ちなみに、「ふくらはぎ」にも、ある性質があると思っております。これはまだ同じようなことを言っているものを見たことがないので「経験と観察による孤独な自論」なのですが、身近な人に話すとなかなか好評(?)なので、もう少し研究と考察を深めてから書きます。

■プールヴァターナーサナ 解説より
指先と殿部を、手の長さ分だけ離す。指を広げ、指先を前にある足に向ける。

「手の長さ分」というさじ加減がわかっていなかったので、具体的に助かりました。

■アルダ・バッダ・パドマ・パシュチマターナーサナ 解説より
このポーズの間中、足のかかとはずっとへそ上にある。そうでなければ、肝臓と脾臓の浄化というこのポーズの目的が達成されることはない。

飲み過ぎたらがんばろうと思える一文。

■コラム:解剖学的焦点 ブッダの蓮華 より
 西洋人は、常習的に内転筋が縮まった状態であることが多い。西洋文化とは、自然の姿を支配して抑制するように仕向けられている。自然よりも自分自身を高く位置づけているのである。これは、イスにすわるという習慣にも反映されている。地よりも高く、地から離れた状態なのである。アジアなど西洋以外の多くの文明では、人は地面の上にすわっていた。これは、人類は自然の一部であり自然の所有者ではないという見解に対応したものである。その上、地面にすわることによって股関節は開かれるのである。

西洋人の内転筋が縮まった状態について以前書いたことがありますが、なにもそこまで責めなくてもいいと思うよ。

■ジャーヌシールシャーサナA 解説より
腰部を伸ばし、胸全体が伸ばした脚に対して直角になるようにする。頚部の後ろは長く保つ。あごを前に突き出してすねにつけようとすると、血液と神経の脳への供給が損なわれる。頚筋が収縮すれば、頚椎ねんざを引き起こしかねない。この動きは攻撃的な野心家の態度を作り上げ、思いやりの気持ちを減少させるものである。

これなんかよくわかるわぁ、と思った読者さんは多いのではなかろうか。

■コラム:ヨーガの状況 脚を頭の後ろに持ってくるポーズの重要性 より
謙遜の気持ちが増し高慢な気持ちが減少する。これは、ポーズの中でも最も重要なものである。

これも、なんかよくわかる。「リアルに自分を背負う」感覚からだろうか。

■カルバ・ピンダーサナ 解説 より
揺れる動きを9回行う。これは、妊娠期間の9ヶ月を表している。

知らなかった。

■バッダ・コーナーサナ 解説より
最終的には、足の指をネックレスのようにして胸に置く。

そうそう、西洋人の表現って、こういうところが面白い。「ネックレスいうても、足ですが」と思う。
迷いなくきれいなものに喩えるのがおもしろいし、「足=きれいなものとは結び付けない」と無意識のうちに思っている、土足厳禁な日本人感覚に気づく。インド人は、「足=下位のもの」と思っているね。

■スプタ・コーナーサナ 解説より
 息を吸いながら、呼吸を利用して起き上がる。

なにげないところなのだけど、肺の動きをトリガーにするってことを無意識にしていたことに気がついた。

■ウールドヴァ・ダヌラーサナ 解説より
 二足歩行するようになる前の動物は、脊柱はテーブルのように地面に平行であり、四肢によって四隅すべてが均等に支えられていた。(中略)著しく保護に欠けている部分が腰椎なのである。腰部は最も柔らかい部分であり、初心者も自由に腰部を「押し込み」、後屈を「征服」しようとする。

いま野口先生の影響で「腰椎ヲタ」なのですが、無意識に動かされがちな部分だからこそ、癖の始動点にもなるってことなんだろうな。

■ウールドヴァ・ダヌラーサナ 解説より
後屈の間中、視線は鼻にある。このドリシュティによって、頚部が収縮しすぎることが避けられる。

目線の追いと逃がしの効用も、楽しみだすときりがない。アーサナ中に「いまこの部位はどういうベクトルに向かっている? Aならどうか、Bならどうか」とやってみるのが趣味なのですが、目線がいちばん楽しい。

■ウールドヴァ・ダヌラーサナ 解説より
 ヨーガでは、胸の後ろは空のように開いていなければならない。胸の後ろを閉じると、自分の前にある征服すべきものに集中してしまう。これは、太陽の心(スーリヤ・ナーディー、つまり太陽のエネルギー経路に関連している)の機能である。
一方胸の後ろを開けば、自分はすべての中間にいるのだと思えるようになる。すべてはそこにあり、何も征服する必要などないと思えるのである。この姿勢は、呼吸が中心の経路、つまり心臓(ハート)に入って心を飲み込む時に生じる止滅の心に関連するものである。

「呼吸が中心の経路、つまり心臓(ハート)に入って心を飲み込む時に生じる止滅の心に関連する」とは、詩的!
うちこは「心の容器を真ん中に置くためのこと」という感覚でいて、胸の中のピョン吉のお部屋を大きくとってあげること、というふうにイメージしていたけれど、たしかにピョン吉は心というだけでなく、呼吸でもあるなぁ。


今日は「やんない人にはわかんなくていい本だから」というノリで書いています。
「やらない人にもおもしろいのよヨガ」という気持ちを、もっと早く手放せばよかったんだ。ということに、今ごろになって気がつきました。

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