シャーロック・ホームズの出てくる物語は犬のアニメや映像の印象でしか知らず、本を読んだのは初めてです。
なのに初めてじゃない気がするのは、江戸川乱歩の小説をたくさん読んできたからでしょうか。
この『緋色の研究』は、英ガーディアン紙が選ぶ「死ぬまでに読むべき」必読小説1000冊に入っていたので読みました。
このリストを知ったきっかけはタゴールの『家と世界』を読んだ後に「こんな小説があったのか!」と驚き、調べているうちにその小説が選ばれているこの一覧を見つけました。
当然ながら構成比はイギリスびいきなのだけど、言葉と文字で世界がつながってきた歴史を思うと、英語を生んだイギリスのリストを参照することは、世界で共有されてきた思考を知る方法として正攻法かもしれません。
わたしは働くようになってから小説が読めない時期が長く、再び読めるようになったのは40歳近くなってからでした。その間の感情の未消化部分をぼやかして老いていくのは宝の持ち腐れだと認識しているので、60代半ばごろまでに、できるだけ良い読書をしていきたいと思っています。
ヒットシリーズのテンプレと「粋」の宝庫だった
この本を読んだら、先に書いた江戸川乱歩はもちろん、『相棒』そうじゃないか! と、多くの事件解決モノのテンプレートがこの小説の中に見られて、ちょっとキザなセリフもこの展開ならアリだわという「展開の粋」もあって、こりゃみんな読むよねと思いました。
わたしがいま初めて読んで、こんなにワクワクするのですから。
この小説のタイトルになったフレーズの登場するホームズのセリフは、再読するとなぜかズッキューン♡となります。
僕はきっと捕まえてみせるよ、ワトスン君。二対一で賭けてもいい。しかしこれもみんな君のおかげなんだ。君がいなかったら、僕は行かなかったかもしれない。したがって生れてはじめてというこのおもしろい事件を、むなしく逸したかもしれないんだからね。そう、緋色の研究というやつをねえ。
いささか美術的な表現をつかったっていいだろう? 人生という無色の糸峠(いとかせ)には、殺人というまっ赤な糸がまざって巻きこまれている。それを解きほぐして分離し、端から端まで一センチきざみに明るみへさらけだして見せるのが、僕らの任務なんだ。
なんですかこのジゴロ感は! お兄さん同士でこんな話してたら、そんなの夢中で読むだろ。
バディものの殺し文句がここにありました。
ワトスン氏の心の背景描写がいい
ホームズの相棒になるワトスン氏は、自分が退屈と不健康のスパイラルにはまっていることを自認している人でした。その独白のような自己紹介が絶妙です。
こううちあけると読者は私を、救いがたきおせっかいものだと考えられるかもしれない。けれどもそうきめつけるまえに一応お考え願いたいのは、当時私の生活はいかに目的を欠いていたか、いかに倦怠に満ちていたかということである。天気でも格別よい日のほかは、健康が外出を許さなかったし、訪ねてきて気をまぎらしてくれる友とてはなかったし、私としては彼の身辺をめぐる小さな謎を待っていたように歓迎し、それを解くことにでも時間をつぶさなければ、どうにもしかたがなかったのである。
更年期の中年男に「推し」が現れた! みたいな感じだったんですね。
そしてタイピングしながら気づいたのですが、翻訳にも関わらず文体が江戸川乱歩で混乱します。わたしのように元ネタを後で知る人って、日本人には多いのでしょうね。
小林少年のような人も登場していました。
「一の重」「二の重」の構成で豪華
物語の中心に触れずに書きますが、この小説を読むことで、通常ではわざわざ歴史を紐解いて学んでみようと思ったりしないアメリカの宗教史の勉強になりました。
「ホームズ&ワトスンの物語」と「犯人の物語」がおせちの「一の重」「ニの重」のように重なっていて豪華に感じました。
教養本として、お得すぎないかこれ・・・。しかも、ロマンチックでもある!
このアメリカの宗教史は、トランプ大統領の誕生による価値観の揺り戻しを見る際に今のわたしにはすごく参考になる要素でもありました。
アメリカにもこういうとこが、そりゃあるよね・・・と、認識をイメージさせてくれる。なんか読んどくといい名作ってあるもんだなと、純粋に納得しました。
ほんの少しスピリチュアルなのもよかった
この「ほんの少しだけ」のバランスが、すごくいい。
こういう要素は日本の作品だとカットするか刑事モノ・探偵モノじゃない形の作品にすると思うのだけど、この小説はあくまで「殺人モノ」。
犯人も魅力的で、ポジティブなスピリチュアル・エピソードの利かせかたがいい。なんかそういうことってあるじゃん、あってもいいよと思いたくなる。
殺人に人を駆り立てる心理状態やその後ろ盾にファンタジーのエッセンスを入れる配分が絶妙で、「復讐に夢がある」という奇跡のバランスを成立させています。
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子供の頃に読んだという人も、いま再読するときっとおもしろいです。
「うめぇなあああ!」と、その道の大御所の歌を聴いたような感じでした。