これはヨガ友から借りました。空海さんの足跡を追ったルポ。これまで日本での空海さんの足跡を追った本は何冊か読んできたのですが、この本には中国で空海さんの歩いた景色がたくさん載っています。中国のお寺や仏像の美しい写真もたくさん載っていて、行きたいなぁ・・・という気になりましたが、いつか行くかな。杭州の霊隠寺というところに最も心惹かれましたが、やっぱりおさえるべきは、青龍寺。行ったらどんな気分になるんだろう。きっと夏目雅子三蔵のコスプレがしたくなるに違いありません。
中国から仏像の絵葉書を送ってくださる、かおりさんというブロ友ヨギさんがいるのですが、彼女からもらったカードの写真も載っていました。迫力満点の石仏、いつか抱きつきに行きたいものです。
空海さんのエピソードとともに、中国の様子が綴られる、旅行記型。いくつか、紹介します。
<46ページ 空海の名文が官吏の心を動かした より>
(入唐時の有名なエピソード)
「まことにいいにくいが、貴僧、すまぬが私に代わって一文を書いてもらえまいか」
大使は空海に代筆を頼んだ。このとき空海が書いた「大使、福州の観察使に与うるが為の書」は、名文家・空海が残した文章の中でも名文中の名文といわれ、私たちにもその音のリズムと華麗なる文体が伝わってくる。賀能(かのう・葛野麻呂の別名)啓す。高山澹黙なれども禽獣労を告げずして投帰し、深水言はざれども、角竜倦むことはばからずして、遂ひおもぶく。ゆえによく西羌険しきに梯て垂衣の君に貢し、南裔ふかきに航しして刑厝の帝に献ず……。
という文章から始まるこの嘆願書は、まず大唐の聖帝の徳をほめあげ、その帝に会いにきた自分たちの船の旅が、どれほど過酷であったかを訴える。そして、唐と日本はいまさら印符などは必要ないほどに心が通じ合っており、中国と日本の天子は友好を結んでいるのに、その天子の使いでやってきた自分たちを信じてくれないのは何事であるか、と責める。しかし、あなたたち官吏からみれば、自分たちのことを疑うのは役目柄当然なことがと相手を尊重しながらも、それにしても自分たちを海中の砂浜に置くとは何事かとふたたび責める。まだ天子の徳酒を飲んでもいないのに、このような仕打ちを受ける理由はないと。そして、自分たちを都の長安に導くことが、すべての人びとを唐の皇帝になびかせることではないかと書く。
きっと、恋愛も上手。
<123ページ 煬帝の運河をのぼる より>
これはあくまで譬喩にすぎないが、最澄の天台教学はどこかクラシック音楽の精緻さと古めかしさに通じ、空海の真言密教はいきなり音の本質に近づくロックに似ている。ましてや当時の中国の仏教界では、密教は衝撃的な斬新さをもったロックのように登場し、そのことに気がついていたのは空海ではなかったか。
これは、うちこも同じイメージを持っていて、やっぱり同じようなことを感じる人がいるよねぇ〜、と思いました。
<129ページ 蘇州にあった二体の空海像 より>
霧がたちこめる霊巖山に登り、寺の応接室で明学法師に仏学院の現状を聞き、唐代の蘇州周辺の仏教地図をきいているうちに、法師は意外なことをいった。
「実は、この経蔵殿には、空海大師の仏像が二体あります」
私たちは最初、その言葉を疑った。中国語では空海大師の発音を「クーカータースー」というのだが、まさかそれが、私たちが空海入唐の痕跡を追い求めている弘法大師空海だとは思えず、「それは日本の弘法大師空海のことですか」と問い直すほどの突然の発音であった。
なんか、言ってみるとかなりかわいい発音です。
<149ページ 密教の発生と伝承 より>
善無畏は、その大日経系の密教を一行と玄超に伝え、玄超はこれを恵果に伝えた。また、金剛智は金剛頂経系の密教は不空(705〜774)に。不空はこれを恵果に。つまり、二つの密教はまったくバラバラに中国に伝わって、長安の恵果のところで合流し、それが日本からはるばるやってきた空海に伝えられるのだが、それはのちの話だ。
この本は、この恵果師のところで合流する密教までの流れをけっこう書いてくれていて、興味深かったです。
<184ページ 長安で学ぶ より>
中国人の礼節によれば、「会いたい」と会いに行った人は軽んじられる。「会ってもらいたい」と請われた人間は重くみられる。そのような人間関係の力学を空海に教えてくれた人がいたのか、それとも空海の人間交際術のバランス感覚なのか。
いまの中国人のイメージからは想像できない礼節(失礼)。日本人にも、なくなってきていて怖い。
<188ページ 長安で学ぶ より>
不空の弟子である恵果に大日経系の密教を教えたのは誰か。一説には『大日経』を専門とする善無畏の弟子で新羅人の玄超から受け継いだという説があるが、いずれにしても中国に伝わった二つの密教の法流は恵果のところで合流し、不二のものとして一元化された。いや、恵果という地味だが才能にあふれた密教者の思想の特色は、ニ法流の密教を一元化し、それに理論的なバックボーンをつくりあげたことにある。
こういう流れの集合点にいる重要な人って、きっと地味なんだと思う。そんな気がします。
<189ページ 不空と恵果 より>
三人(善無畏、金剛智、不空)の中では、恵果の師である不空がもっともその能力(呪術力)にすぐれていたらしい。長安城内の皇城の中で、道教の術士とたたかって勝ち、大呪術師の名をほしいままにしていた。
密教に対する民衆の期待は今日の日本でも似ている。密教の総本山であり、帰国後の空海みずからが構想した高野山の金剛峯寺 には、その空海の密教思想を具体的に示した根本大塔の立体曼荼羅があるが、高野山を訪れる人々の多くは、その密教理論の結晶ともいうべき根本大塔にはほとんど目もくれず、空海が入定する奥の院へと足を向ける。密教の思想や、その哲学体系よりも「南無大師遍照金剛」という大師信仰のほうが、民衆には身近でわかりやすいのである。
根本大塔の中の雰囲気がうちこは大好きなのだけど、けっこうひとりになれちゃったりする時間が多いんですよね。あの中にある絵とかもとってもやさしいエネルギーを発していて、素敵な場所なのに。
<193ページ 恵果との劇的な出会い より>
道教の道士や宦官が隠然たる勢力をもつ、中国の古い因習の下にあった唐の宮廷の中で、インドからの外来宗教である仏教は、すべての人びとに歓迎されていたわけではない。密教もその例外ではなく、その高度な宇宙観と哲学を理解するというよりは、道教との比較において、その呪術能力がすぐれているときのみ歓迎されたようだ。
それに成功したのが不空である。
不空の時代の唐は、ようやく中央集権的な国の体制を固めようとしていた。宗教もまた、その時代の流れに迎合し、国家づくりに利用された。とくに密教の「国家護持」の思想と呪術能力は、国をまとめようとする国家権力にとってきわめて都合のいい宗教であった。
これと同じようなことが、日本の平安時代にもおきていて、デジャヴ。空海さんが不空さんの生まれ変わりといわれたりするのは、こんなところも理由の中にあるんだろうな。
この本全般、「かっこええ空海さん」という憧れの目線で語られた雰囲気が流れていますが、そこにとってもリアルな写真がはさまれていて、全般クールな印象。うちこは最近、めちゃくちゃ運も頭もいい人でありながら、社会政治への降り方にものすごくセンスを感じるところに(後期の空海さんに)、かっこよさを感じます。
この本は、王道の「前半のかっこよさ」が中心。男の子好みのまとめ方なんじゃないかな。と思いました。
▼最後に、空海さん関連でこれまでにここで紹介した本のリンクを張っておきます。
・空海 塔のコスモロジー 武澤秀一 著
・図解雑学 空海
・空海の世界 金剛鈴の響き 桜井恵武/撮影
・空海の夢 松岡正剛 著
・黎明 葦原瑞穂 著
・実修 真言宗の密教と修行
・集英社版学習漫画「空海」
・空海 民衆と共に―信仰と労働・技術 河原宏 著
・空海とヨガ密教 小林良彰 著
・『空海の風景』を旅する NHK取材班 著
・密教―悟りとほとけへの道 頼富本宏 著
・謎の空海―誰もがわかる空海入門 三田誠広 著
・密教―インドから日本への伝承 松長有慶 著
・悩め、人間よ―親鸞、空海、日蓮、隠された人間像
・はじめてのインド哲学 立川 武蔵 著
・「仏教とヨーガ」保坂 俊司 著