うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

謎の空海 ― 誰もがわかる空海入門 三田誠広 著

ずばりなタイトルの本に手を出してしまいました。
この本を読んで、昔の天皇の政治と宗教のつながりも勉強になり、中学や高校の日本史ではさらりとしか学ばなかったようなことも、興味深いエピソードと共に読むことができました。日本史はあんまり興味を持って勉強してこなかったので、まさか大人になってからこんなふうになるとは思ってもみませんでした。
歴史上の人物にほどよいアレンジをして面白い画像にする、という得意技を持っていたので、けっこう写真は覚えているものが多いのですが(笑)。いま思うと、ガンジーの写真にありえない生加工とかしていたなぁ。。。

さて、本の話。今回は一冊まるまる空海さんなのでピックアップすべきところを決めかねましたが、厳選して二つ、引用して紹介します。

<34ページ 「修験道との出会い」より>
掲帝掲帝般羅掲帝般羅僧掲帝菩提僧莎訶
(ぎやていぎやていはらぎやていはらそうぎやていぼうじそわか)

こういう呪文は陀羅尼と呼ばれる(咒陀羅尼ということもある)。とくに短いものを空海は「真言」と呼んだ。陀羅尼や真言は、意味不明である。いちおう梵語なので、一つ一つの言葉の意味はある。しかし文脈がないので、文法的に意味をたどることはできない。それでいいのだ。日本にも祝詞と呼ばれる呪文のようなものがある。こういうものは、意味がわかっても仕方がない。その呪文に、験力(げんりき/神秘的なパワー)があると信じるしかない。このように、理解するのではなく、信じるしかない領域を、秘伝として伝えるのが密教である。

「信じるしかない領域を伝える」ことって、言葉や文書にしたとたんに「うさんくさい」感じになりがちですが、たぶんここが空海の思想のキモなのではないかと感じています。
先日「密教―インドから日本への伝承」の感想に書きましたが、最澄とのエピソードを読んだときも、そんなことを感じました。いまの言葉に言い換えると「実践主義」。

猪木さんの言葉(というか出所は清沢哲夫氏の「道」)で言えば「迷わず行けよ 行けばわかるさ」ですね。うちこの大好きな詩です。

▼これね

この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ

ちょっと寄り道してしまいましたが、もうひとつ。

<120ページ 「青龍寺を訪ねるまで」より>
遣唐使の一行が帰国すると、空海西明寺に居を移して、本格的な活動を開始する。空海は自分では短期間の留学と考えているから、時間を無駄にすることは許されない。空海はすぐには(のちに密教を授かる恵果のいる)青龍寺には向かわない。まだ準備が不足していると感じている。唯授一人の秘伝を授かるためには、自分を高めておく必要がある。すでに空海は奈良の大寺を回って、日本に伝えられている仏教は読み尽くしている。山岳修行によって自らを鍛え、室戸岬の洞窟で、悟りの境地ともいえる達成を体験している。
自分の唐語が、唐の現地でも通じるということは、確認している。空海がこの時点で、自分の能力に不足があると考えていたとすれば、次の二点だ。瑜伽密教の基礎知識。および梵語である。

この、「用意周到」「準備万端」という時間の使い方は、空海さんの大きな魅力。実際、その後に恵果師に出会った空海は10年、20年かけて秘伝を授かろるために修行する僧たちがいるなか、別格の扱いで秘伝を授かることになります。
決して「急がば回れ」ではなく、「自分で自分に納得のいく準備を整える」という志には、見習うべきところがいっぱいです。


空海さんのような「信じるしかない領域」を信じて生涯を全うした人の話はとても励みになります。
昔の人は、このようなありがたい言葉を手軽に持ち歩くこともできなかったと思うので、やっぱり今を生きている間は、空海師を見習ってたくさんの言葉を吸収する時間の使い方をしようと、ちょっと志が高まる刺激を受けました。